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96年9月

山口 正司             


1996年9月 1日 日 晴 防災の日 家具の展示場 1996年9月 2日 月 変な空    恐いと言われる 1996年9月 3日 火 晴      フローリング作り 1996年9月 4日 水 晴      ブレーキランプ 1996年9月 5日 木 晴      秋葉原を歩く 1996年9月 6日 金 晴      PC EXP 1996年9月 7日 土 晴      木のおもちゃ 1996年9月 8日 日 晴      穀物輸入国 1996年9月 9日 月 雨      貿易総額 1996年9月10日 火 晴      カツ丼 1996年9月11日 水 晴      野沢児童館 1996年9月12日 木 晴      スキャナーでの写真の取り込み方 1996年9月13日 金 曇り後雨   急行元住吉行き 1996年9月14日 土 雨      Sの付く動詞 1996年9月15日 日        敬老の日 1996年9月16日 月 晴      公園でお弁当 1996年9月17日 火 晴後夜小雨  一太郎の新製品 1996年9月18日 水 晴      寝返り 1996年9月19日 木 晴      はれぼったい 1996年9月20日 金 曇り後雨   粗大ごみ 1996年9月21日 土 曇り後雨   携帯電話 1996年9月22日 日 台風 暴風雨 物置が倒れた 1996年9月23日 月 台風一過   恵比寿ガーデンプレース 1996年9月24日 火 晴      共有物 1996年9月25日 水 晴時々雨   調停 1996年9月26日 水 曇り時々雨  多美ちゃん訪問 1996年9月27日 金 曇り時々雨  縦書き 1996年9月28日 土 秋晴     法事 1996年9月29日 日 晴      環境まつり 1996年9月30日 月 雨台風接近  ホームページの費用

1996年9月1日 日 晴 防災の日  家具の展示場

 昨日は池袋のあと上野のはやみず家具センターを見たが10階建ての建物に見物客は10人位で、古い重い大き い家具が並んでいた。

 朝新聞の折り込みチラシを見ると臨海副都心に日本最大の家具の展示場があると書いてあるので出かけてみた。国際価格と言うのも検証したかった。

 臨海部副都心は行くたびに進化している。ファッションセンター中にショールームはあって美しい最新の家具 が広々と展示されていた。

 米国製家具も多く展示されて価格は納得できる。私たちは地下からすうっと入ってしまったが、普通は入り口 で住所氏名を記入して一人の販売員が接客し続ける点が気になるけれど、品物の量と質、展示の美しさは日本国 内でかつて一度も見たことはない。

 ビルの地上階は大きな吹き抜けになって竹が植えられマクドナルトやレストランがある。米国IBM本社ビルを 模した様にも見えた。

 マックシェークを持って椅子に座ると東京湾の船と海が続いて見える。高速道路は直結して全国に道路は広が り埠頭は世界から物資を入れる。湾岸地域は豊かさと繁栄の最先端に写る。最先端というのはバギーを押しやす いということだ。



1996年9月2日 月 変な空  恐いと言われる

 自分は自分の性格を知っているように思うが気がつかないことも多い。この文章を読む人はやさしい性格だと 思う人がいるだろうか。自分はやさしいと人から言われることがある。やさしすぎると言われることもある。厳 しいと言われることもある。恐いと言われることもある。

 高校も三年生の最後卒業式をま近に控えた頃それ程親しくはない男子のクラスメートの一人から電話があって 話したいので池袋に来るようにと誘われた。

 出会って直ぐに近くの喫茶店に入って話すと私が彼を変な目で見ているような気がして恐いのだと言う。全く 身に覚えがなくてびっくりしてしまった。

 彼は優秀な学業成績だったから私は心から尊敬していたし羨ましく見えることはあったけれど嫌うこともねた ましいこともなかった。
「そんなことないよ。」
と言ってしばらく歓談して
「それじゃあ元気でお互い大学入試いい結果を期待しよ う。」
と言って別れてからそれっきりになっている。

 おそらく今も元気で生活しているだろうと想像しているし、便りがないことは無事だと思うより仕方がない。 あれからも気になってクラス会の通知を送ったりもするが届いた様子はあっても返事はない。その後彼と会った 同級生もいないようだ。

 自分が何故彼を傷つけたのかはいまだにわからない。自分に責任はないと思うが多くのクラスメートの中から 私が選ばれたのは理由があったのだろうかと考えてしまうことはある。






おとうさんとにっこにこの写真




1996年9月3日 火 晴  フローリング作り

 二階の南西の角に出窓がある部屋がある。出窓の前は隣の窓になっている。互いに窓と窓がぴったりと向き合っているからその部屋は納戸になっている。

 何年も納戸のままでいて床がふかふかになっていた。昨日大工に連絡すると朝方来た。雨漏りもあるがさっそ く材料を買いに行って一日がかりで部屋の全部がフローリング作りに仕上がった。

 この大工は仕事が早い。すっかり部屋は新しくなった。本来この部屋は旅館の次の間のように考えられている。しかし東京での寸分許さぬ生活の中では次の間のゆとりはない。納戸となって収納されていた物は今まだ出ているが大工も
「こんなにたくさんここに入っていたんですか。」
という位大量だ。次の間を捨てて納戸を選択している自分は精神より物質を優先しているのだろうか。

 この大工はずっと前から随分と年をとっていた。
「コンピューターの仕事はどうですか。」
と問われて
「大工さんは技術が古くならないのが羨ましいですよ。」
と答えた。






お気に入りのぶた公園




1996年9月4日 水 晴  ブレーキランプ

 自動車のブレーキ警告ランプが点灯している。先週木曜日に直して同じ症状が再び起きた。ブレーキ動作に異 常はない。ブレーキマスターシリンダーの交換をして既に4万円を支払っている。交換修理は正しかったのだろうか。

 自動車が古くなると修理箇所が出る。面倒なことだ。私の車の減価償却費はおよそ年間20万円以上であって 償却は既に済んでいる。修理費と心理的負担と後進性と安全性コストがそれを越えれば古い車は非経済的でひと りよがりの自己満足になる。修理はいやな思いをする。しかし減価償却費を下回る金額は自分への贈り物と思っ て仕方なく出来るだけ早く修理した方がいい。

 いやな思いは損失だ。修理したあとは何処が壊れてどんな部品を換えたのかを尋ねる。午前中に修理工場に自 動車を再び持っていった。新しい部品の取り付けネジが閉まってなかったそうだ。気持ちよいエンジン音で快適 な状態に戻った。






写真
 航平泣かないで、おかあさんも泣かないで






1996年9月5日 木 晴  秋葉原を歩く

 天気がいい。九月の空だ。学校も始まって秋の風情だ。一太郎のバージョンアップの知らせが来た。サポートは有料になる。巨大なソフトだ。絶滅する恐竜を思ってしまう。

 午後から秋葉原に出かける。新玉川線から表参道で銀座線に乗り換える。神田駅で降りる。ステップのマック 館は確かになくなっていた。必ず立ち寄る店だった。ステップ本館も展示商品が少ない。

 万世橋から見える川の水は綺麗だ。鯉も泳ぐが台風の大雨で巻き上がる汚泥が天敵だ。警察の前から信号を渡ってソフマップマック館に着く。良い店だが音楽がうるさい。無料の雑誌は帰りに読むのに感謝している。

 中央線のガード下の信号を渡って九十九電気に入る。そのまま地下に降りる。先週PDを購入した。1ギガのハードディスクが安い。聞くと製造元のウィンシステムは倒産したらしい。美しいデザインの周辺機器は一体的で高級感があったがメーカー名はマジックで消されていた。他の店は高く販売しているから九十九電気は良心的だ。

 北の階段を上がるとラオックスマック館でフルーツジュースを買う。店内を見てラオックスコンピューター 館に入る。一太郎の音楽は金太郎が出て来そうだ。ラオックスアウトレット館、最近は余り目を引かない。

 チラシを貰いながら小さい店をのぞいてT-zoneに入る。最上階のアウトレットは見逃せない。スキャナーは ここで手に入れた。ウィンドウズのページプリンターは格安だった。

 再度小さい店に戻って32メガバイトのメモリーを購入した。ガムでも入れる袋につめて並んで大人が買う軽い小さい商品が他に有るだろうか。昨年の八分の一近くまで値下がりした(17767円)。

 何時もこんな風に歩くのは目を休めたいのと歩きながら考えたいのも一つの理由だ。末広町から電話をして戻 ると駅で航平とチャコちゃんが待っていた。






    夏の思い出 メモリー



1996年9月6日 金 晴  PC EXPO

 昨日秋葉原でPC EXPOの券を貰ったので幕張に行ってみた。日経パソコンに入場券は付いていたが昨年行って収穫がなかったのでどこかにいっていた。

 アジア最大というが結果収穫はなかった。エンドユーザー向けの展示会であって大企業は元気であるというこ とと人の背中しかわからない。

 大体大企業はエンドユーザーに対して宣伝力を持っているから大むねの展示は日経パソコンの広告と大差ない。松下のDVDを見てもダイエーのコルチナのテレビと写りに変わりはない。昨年そう思ったからもう来るのはよそうと思ったのにまた来てしまった。

 展示会で面白いと思ったのは三年程前に見たTooという会社が主催した印刷の展示会だった。その頃何とか自 分で印刷が出来ないかと思っていたので展示会情報を調べて主催者に問い合わせて行った。

 Tooの顧客だけが大半案内されていて私のように門外漢は珍しがられた。小さいスペースだったが見る物が目 新しくて客は少なくてゆっくり事情を聞けた。

 コンピューターに携わっていると印刷も出来そうな気がする。しかしそこではパソコンはおもちゃのようだっ た。印刷機は安い物で1000万以上したし、スキャナーだって4000DPIなどと表示されていた。

 印刷物は異なる大きさの文字が整然と並んでいるから美しいと知ったのもそこだった。ビルの壁ほどの大きさ の垂れ幕を印刷するプリンターもあった。展示されているものは内輪だけが知りうる情報だった。知らないこと を知るために出かけてはじめて知ったので感動した。



1996年9月7日 土 晴  木のおもちゃ

 出産祝いに木のおもちゃを前にいただいた。その店からダイレクトメールが届いて家族で出かけた。大田区西 糀谷に店はある。日本の工業を支える中小加工メーカーが軒を連ねる場所だ。近所の人に場所を聞いてもその人 は知らなかったし外からは見ても目立たない。

 店は美しくて数名の店員と何人かの客が忙しく動いていた。ただの木で作った子供のおもちゃが並んでいる。 古い商品がバーゲンセールで販売されている。はがため用のかちゃかちゃ、指先大のひばちと茶釜、くるくる回 すプロペラ、ママのおっぱいの感触のスポンジ風ボール三個を手に入れた。

 近くにチャコちゃんが習ったお茶の先生の家があるからと訪ねた。何年ぶりかで会ったようだったが部屋にう かがってひとしきり昔の話しや最近の消息など聞いた。私は初対面でチャコちゃんから聞いたり年賀状を拝見す るだけだったが実際会うと喜寿に見えない。

 毎週1000メートル泳ぎ高校茶道部の指導に行って逆に若い人から話しを聞くのが楽しいらしい。
「子育ての中で子供からは随分教えて貰うからこれから楽しみですよ。」
と言われた。






はがため用(むずむずするので噛む)のかちゃかちゃおもちゃ






1996年9月8日 日 晴  穀物輸入国

 とうもろこし相場が高騰しているという特別番組が放送されていた。日本は言うまでもなく穀物輸入国である。コメの輸入規制が厳格になされているから穀物管理全体が厳格に統制されているような錯覚に自分自身は陥ってしまう。

 しかしコメ以外の穀物について日本以上に輸入に頼っている国が他にあるのを知らない。米国はもちろん食料 輸出大国だが英国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、中国、韓国、タイの穀物自給率はおおむね日本程 低くない。

 コメを大事にするのを隠れ蓑にして国民の安心は逆に忘れられている気持ちになる。


食料自給率  1992 日本国勢図会

     日本  デンマーク  英国  フランス  ドイツ  スイス  伊国  スウェーデン  米国
穀物   30    119   105    221   106   47    80   124     109
いも   93    134    90    101   95   100    86   93      95
豆    8     224   106    36    27   4     57   87      11
野菜   91    69    88     86    40   58    122    69     97
果実   63    11    63     41   113   121    96
肉    70    355    79    104    93   90    69    121     96
卵    98    97     96    71    95  102
乳製品  78    194    99    103   105   109    85   107     100






写真
 僕はおしゃぶりがだいじ






1996年9月9日 月 雨  貿易総額

 久しぶりの雨で利根川の取水制限が一部解除されたようだ。日本は水と安全はただだと言われたがこのところ水不足がよくおきる。

 成田を降りるときに空から眺める千葉は一面のゴルフ場だ。スキー場は開発すると森林を伐採するので不幸なことに降雪量が少なくなってしまう。エルニーニョによる異常気象の影響もあるかもしれない。

 日本は石油を産出しない国だから至る所に輸出用の工場を作らなければ食べていけないと良く聞いた。

 日本が貿易大国であることは事実だ。貿易総額は米国、ドイツに次いで世界第三位に位置する。しかし私たちは一人当たり平均して470万円程を作り上げるが輸出額は25万円程、輸入額は20万円程だ。

 批判を受ける貿易黒字は5万円だ。その5万円が増えたか減ったかは実によく耳にする。かつて中曽根氏が解消のために一人2万円外国製品を買って下さいと言っていた。

 確かに25万円輸出したら25万円輸入すれば豊かだ。20万円輸入するなら輸出は20万円にすると楽が出来る。豊かさは生産した470万円で何が手にはいるかを意味す る。

 貿易総量は大きいが一人当たりの金額すなわち貿易依存度となるとそれ程多くないことが分かる。私たちは意外なほど内需で生計を営んでいる。





     貿易依存度と一人当たり貿易額

               日本国勢図会1992

      貿易依存度%    一人当たり貿易額ドル

       輸出   輸入   輸出   輸入

日本     9.7    7.9   2323  1901

韓国     27.3   29.3  1519   1632

シンガポール 49.6  172.4   17576  20262

スウェーデン 26.1  24.8   6708    6376

イギリス  18.8   22.8   3239   3918

ドイツ   28.7   22.6   5523   4354

オランダ  47.2   45.1   8825   8447

ベルギー  60.6   61.5   11575  11748

フランス  17.7   19.6    3724  4132

カナダ   22.9   21.0   4789   4391

米国    7.2    9.5    1575   2068

オーストラリア 14.8 13.8    2319   2270






    ここで定点撮影を続けています。三月から一人増えてます。 駒沢公園で
 





1996年9月10日 火 晴  カツ丼

 夕方家族でダイクに行って散水栓の接続部品を手に入れる。小さい部品だが決まるまでダイクをもう既に三回車で往復している。店員は丁寧に指導してくれた。

 その後ダイエーに行く。帰りまぎわにフードパークで食事をとった。かつてここで食事をとることは二人とも軽蔑していた。こんな所で夕食を済ませるなんて許せなかった。

 食べたカツ丼は美味しかった。
「どんなにかっこわるくても楽しんだほうが勝ちさ。」
などと言いながらも心底美味しいと思った。

 人間て幸せと不幸せが誰にも等しく与えられているような気がする。そんなカツ丼が旨いと思うのは不幸かもしれないし、そんなカツ丼でも旨いと思えるのは幸福かもしれない。物がなんであれ旨いと感じる脳と刺激は同じだ。

 帰宅して航平を風呂に入れるが最近何故かよく泣く。頭も洗わせてくれない。ぐずぐずしている。






  箸が転げてもおかしかった頃の昔のチャコちゃん      出会ったころの思い出





1996年9月11日 水 晴  野沢児童館

 航平は午前中隣の家のりさこちゃん親子と一緒に野沢児童館に行った。ベビーの集いが毎月あるらしい。ただそこに集うだけらしいが気分転換には役だったようだ。

 近くに深沢児童館というのもある。地図を見ると野沢児童館の方が近い。気持ちの上では遠いと思っていたので意外だった。地図上で東方向は全体に遠くて不案内に感じる。西方向にはよく出かけるし近いように感じてる。世界の都市は西方向に開けていくと聞くが私自身も西の方向がテリトリーになっている。



1996年9月12日 木 晴  スキャナーでの写真の取り込み方

 最近スキャナーで採った画像をここに置いている。今までスキャナーで画像を取り込むこむ良い方法が分からなかった。

 理由ははじめに読んだ本が悪かった。ホームページ上に載せる為には画像をgif形式かjpeg形式で保存する必要がある。私は「ホームページを作ろう」という本を見ながら作った。この本は大体良くできているが、画像の処理については悪い方向に導いた。gif画像を用いて色数を減らすことの重要性が書かれている。

 指示に従って私の写真集1と2は作られた。軽くするためにモノトーンになっている。色の数を減らして軽いファイルにすることを幾ら試みても良い物は出来なかった。写真はgif画像ではだめだった。

 しかしjpeg画像でも軽い小さいファイルは出来なかった。ある時ファイルの大きさにとらわれず作ると軽く綺麗に出来ている。

 理由はjpeg形式で保存した後でファイルが小さくなっていた。圧縮形式とは知っていたが取り込む前のファイルの大きさに勘違いしていた。

 今作られている画像は72dpiで16万色の無修正でスキャンされている。ファイルの大きさをおよそ180キロバイト位に設定する。pict形式で取り込んだ後jpeg形式で保存すると180キロバイトは25キロバイト位になる。300キロバイトなら35キロバイトくらいだろう。元の写真に近くできている。






おかあさんと反対の方向も向いてみたい




1996年9月13日 金 曇り後雨 急行元住吉行き

 チャコちゃんは敬老の日が近いので航平とお義父さんの所に里帰りした。朝早くに出かけた。自由が丘までバスで行って東横線に乗り元住吉駅で降りてからバスで30分程行ったところに実家はある。

 私は昔学生の頃渋谷発8時37分急行元住吉行きという電車に泣かされた。この電車に乗ると遅刻する。この電車を知らない人は私の同窓生にはいないはずだ。

 学校は日吉にあって9時に授業が始まるがこの電車が日吉に行けば間に合う。無情にも一つ手前の元住吉駅止まりだから全員下車しなければならない。

 元住吉駅のホームには遅刻が決まった学生が集う。社会に出て知り合う人が慶應大学の出身者ならこの電車の話しをすると必ず笑顔が返るはずだ。

 チャコちゃんにとっては元住吉行き急行というのは座って行けるので願ってもない電車だ。元住吉は恨めしい土地だったが知るにつけなかなか住み易そうな所だ。物価は安いし、商店が多い。静かで比較的環境がいい。交通の便がいい。学校が多く大病院がある。夕方電話があって自由が丘まで迎えに行った。

 自由が丘にチャコちゃんを迎えに出たが時間に遅れてしまった。
 チャコちゃんに
「ばうわうさんが戻ってきてるんだよ。」
戻ってきたページを見ていて時間がたつのを忘れたのだ。

 はじめばうわうさんのページを見たときには
「ああまたいたずらだ。」
と思った。

 しかしキャビネットのメールアドレスとばうわうさんのIIJのページにはかつての同じ内容が同じトーンで刻まれ ている。

 ばうわうさんがいなくなって実に一ヶ月ぶりだった。チャコちゃんは
「ふーん、よかったじゃない。これでまた楽しくなるじゃない。」
確かにばうわうさんには随分楽しませて貰ってきた。

 良かれ悪しかれ仲が悪くて喧嘩別れなら互いに傷を負ったままだが再会すればかつての喧嘩が互いを知るよすがに なる。

 さらに希望するなら去った他の人も再び戻ってきて欲しい。そして上質のユーモアで私達を楽しませて欲しい。



1996年9月14日 土 雨  Sの付く動詞

 一日雨だ。チャコちゃんは歯医者に行く。マルエツの二階まで一緒に出かけて私は航平をだっこひもでだっこして治療が終わるまで前の本屋で待っていた。

 だっこしながら本屋で立ち読みなんてもう恥ずかしくはない。終わって地下で紙おむつを買って雨の中を三人で帰った。

 8月27日に購入したPDについての使用追記。PDはファンの音がうるさい上に本体のアクセスの時にもアクセスしに行くときがあって、平常は使用していない。

 バックアップの目的は十分に果たしている。購入したディスクは二枚でシステムの全部が日付けをはなして二種類保存されている。

 マックのハードディスクの全部を一枚に納めていて故障に対する不安は少なくなった。MOかPDかの選択に迷ったが今の所PDに対する不満はない。

 日記上のアクセスは日記筆者について書くと増えるかもしれない。しかし、英語の動詞は三人称単数現在形にSを付けなければならない。Sの付く動詞を表現するにはよほどの注意が必要だ。



1996年9月15日 日     敬老の日

 敬老の日でひいおばあちゃんの所に電話してみる。元気そうで月末に法事で会うので今日はご無沙汰する旨を伝えた。

 敬老の日だけではなく毎日が敬老の日であって欲しいと言う声を聞く。大家族社会から核家族社会に移行しているのでかつての大家族の中での暖かみを離れて得ることは難しい。

 気持ちや愛情は距離と関わり無く伝わるが、遠い親戚より近い他人というように離れていると自然気持ちが伝わらないときもある。しかし何時の時代でも弱者や少数者が気持ち良く生きられる社会は大多数の者にとっても 必ず居心地がいいはずだ。



1996年9月16日 月 晴 振り替え休日 公園でお弁当

 三連休の最後の日だ。天気もいい。昼過ぎ家族で出た。芝公園で、コンビニおにぎりを持ってシートをひいて航平を寝かせながら昼食をとった。

 考えてみると子供の頃は公園でお弁当を食べる習慣はなかった。外にでれば繁華街の食事をとる場所で、相席 になると声をひそひそさせたりしながら食べた。子供だけでは入れない所では大人の様子をかいまみた。

 チャコちゃんは公園で食べることがよくあったそうだ。都会でも確かに外で食べる食事は事の外美味しい。

 航平に食事をやっていると年配の二人の女性から話しかけられた。しばらく世間話をして笑ったりした。一期一会の会話で互いの心が洗われる。

 銀座通りに出た。気が付かなかったが銀座は格好の子連れの場所だ。店が小さく道路は整備されて人もそれ程多くない。本を買ってマックシェークやハンバーガーを食べながらもうすっかりと秋の日差しだ。

 今朝のほほんさんが辞めると聞いてびっくりした。何でえ、と思いながらよく読んで、再び読み直してもやはり間違いはなかった。言われてみれば実にその通りで、のほほんさんの主張のどこにも間違いはない。

 実に残念なのは今まで得られた楽しさが思い出になってしまうことだ。のほほんさんの日記は楽しく拝見してきた。

 ランキングプログラムはのほほんさんが何時更新されたかもすぐに分かった。遠い所にいってしまうような寂しい気持ちだ。もし気が替わって何時でも戻って来ていてただければきっと誰もが嬉しいだろう。



1996年9月17日 火 晴後夜になって小雨 一太郎の新製品

 航平とチャコちゃんは隣のりさ子ちゃん家族と一緒に深沢児童館に出かけた。子育てトークとかで40人位の赤ちゃんが集まったようだ。航平はりさ子ちゃんからちょっとさわられるとえーんと言って泣き出してしまう。二人で髪の毛をつかんでは舐めあっているらしい。

 午後チャコちゃんは歯医者に行く。その後私は秋葉原に行く。

 一太郎の新製品が出ていた。以下店員から聞いた話で確かではないが値段が不思議だ。

一太郎の不思議

マック版ATOK8              6500円
マック版ATOK8+クラリス社ワープロソフト 6500円

ウィンドウズ版
一太郎マニュアル    3000円
ホームページビルダー  11000円

一太郎マニュアル+ホームページビルダー+一太郎Ver7アップグレード版6500円
一太郎マニュアル+ホームページビルダー+一太郎乗り換え版      9500円
一太郎マニュアル+ホームページビルダー+一太郎新規購入版     17000円
乗り換え版と新規購入版は同一で証明はいらないらしい。
一太郎VER4.3                          30000円

無償アップグレードにマニュアルとホームページビルダーはないらしい。無償アップグレードを受けてホームページビルダーを購入する場合一太郎乗り換え版9500円を購入する方が安いそうだ。

 昨年から一太郎無償バージョンアップとうたって来たがホームページビルダーを希望するなら有償バージョンアップだった方が有利になる。

 この話しをチャコちゃんにしたら
「アップグレード版安いから一つ買っておきなさい。」
と言うが
「でも機械がないよ。」
と言うと
「いつか買った時の為にとっておくのよ。」
一太郎が株式ならそれでもよい。




1996年9月18日 水 晴  寝返り

 航平は寝返りをするようになってもうベッドでは寝られなくなった。それで散らかっていた和室をかたずけてそこに布団を敷いて寝るようになった。

 今までは12時頃にベッドから抱きかかえて移動していたが、かたずけた和室で夜7時半頃から朝まで寝るようになった。

 4畳半と狭くて夜はチャコちゃんだけ一緒に寝ている。私は別にベッドで寝ている。出産前には三人で一緒に寝ると観念的に決めていた。

 実際には休める時に休める人がゆっくり休む体制になった。ある意味では臨戦態勢で子育ては戦争のようでもある。



1996年9月19日 木 晴  はれぼったい

 航平はチャコちゃんとはるなちゃんの家に午前中から遊びに行った。4時頃帰ってきた時の航平の顔ははれぼったくふくれあがっていた。

 はるなちゃんの家にいるあいだずっと泣いていたそうだ。航平が訪ねるので近所の女の子の赤ちゃん二人も一緒にいて最初はにこにこして写真を撮った。

 その内はるなちゃんが
 「うううー。」
 と低い声を出したとたん航平は泣きだしてそのまま帰るまで泣き止まなかったそうだ。

 チャコちゃんも落ち着かなくて昼食ものどを通らなくて泣きそうだった。おかあさんのりかちゃんは気をもんでいたそうだ。神経質に育っていると思われたかもしれない。家に帰るとすっかり元気になった。

 夜になってお義父さんが訪問。明朝粗大ごみを取りに来るのでこれから冷蔵庫、テレビ、扇風機、椅子、パネルヒーターを建物の前に出さなければならない。

 全部故障なく動くがリサイクルに出すゆとりがない。清掃局で再利用してくれれば嬉しいが気がひけてならない。



1996年9月20日 金 曇り後雨  粗大ごみ

 午前中銀行に出かけた後マルエツの前で糸ちゃんと出会う。店は閉めて下馬に越したそうだ。ひいおばあちゃんの弟が亡くなったので23日にお通夜に行くらしい。

 糸ちゃんの夫は昨日膀胱結石で手術したが大分時間がかかったそうだ。糸ちゃん自身は元気だった。

 粗大ごみをチャコちゃんと出すのに大変な思いをした。しかし何故玄関前まで自分で出すのだろう。タンスや冷蔵庫は重くて大変だ。家は二人いるが単身者や老人、障碍を持つ人は出せない。

 都庁に聞いてみた。出せない人は民間業者に依頼するそうだ。理由は効率が上がるかららしい。80万人の世田谷区全体で二台の軽トラックが月に二日しか回っていな い。

 効率を考えないと収集出来ないそうだ。都庁にはたくさん人がいるが、二台が二日とは少ない。

 夜テレビで石井めぐみの「ゆっぴーのばんそうこう」を見た。優斗君の将来は困難が多いが優斗君が私達を導くことは限りなく多い。優斗君が平和に暮らせますように。



1996年9月21日 土 曇り後雨 台風接近 携帯電話

 午後深沢児童館に家族で出かけた。職員から
「今日はお父さんも一緒ですね。」
と挨拶された。

 子供達はレーシングカー、卓球、将棋、料理、ダイアモンドゲーム、サッカーをして遊んでいた。

 活気があって、チャコちゃんがかつて研修で訪問した所だけに模範館だと感心していた。図書館でCDを借りた。航平の図書利用カードを作ってくれた。

 ところで最近携帯電話の無料贈呈というのが多い。もらった後で加入契約金を支払うのだから無料と言うのは正しくない。

 秋葉原で
 「携帯電話安くしときますよ。」
 と言われるが値札は10円とか30円とか100円と書いてある。

ガソリン30リットル以上入れた人はプレゼント。
米を10キロ以上買った人はプレゼント。
ボーリング3ゲーム以上の方プレゼント。
ホームページにプレゼントのリンクをしてくれた人にプレゼント。

 新聞チラシに
 「クイズに答えて携帯電話をもらおう。」
と書いてあるがこすって見ると巧妙に、はずれはない。

 さっきは知らない会社からアンケートに答えて携帯もらおうのダイレクトファックス。人の紙使うな。

 一台引き渡すごとに13000円程のバックマージンが目的らしいが商品価格表示が正確でないことへの不快感は大きい。



1996年9月22日 日 台風 暴風雨 物置が倒れた

 台風17号で大変な暴風雨。妹家族は尾瀬の山小屋で自炊すると言っていたが大丈夫なのだろうか。台風というとキャンプに行っているような気がする。

 家にこもってテレビを見ていると窓枠下から雨漏り。こんな所からも雨が漏る。砂壁が落ちてしまうし、カビのもとになる。

 夕方天井の方向でドッカーンという大きな音がした。外に出てみるとベランダに置いてあるうちの物置が倒れている。隣の人も出てきた。暴風雨の中を直そうとしたが中に入っている物が外に出てくるのと、重いのとでびくともしない。外れかけたドアから中のものが出れば隣の犬を飼っている庭に落ちてしまう。

 部屋に戻って隣の家に電話をかけて謝って明日以降に直すことにした。びしょびしょになってズボンとシャツはペンキがついて青くなった。



1996年9月23日 月 台風一過 恵比寿ガーデンプレース

 台風で倒れた物置を見ると、外れた扉の下から品物が出ている。隣の人は窓から
「手伝いましょうか。」
と声をかけた。
「一応やってみて出来ないときはお願いします。」
とベランダ越しに答えた。危険なのでベランダの下に置いてある車の移動を依頼した。

 扉の下から出ている物を少しずつ出して物置を軽くした。持ってみるが角が引っかかって動かない。チャコちゃんも手伝うが動かない。反対側に回って手すりに足をかけて一、二の三でやっと元通りになった。

 扉が外れて中の物が丸見えになる。捨てていいような物しか入っていない。その瞬間察したのか隣の人は窓から奥に戻った。扉を付けて最後にコンクリート釘で物置を固定した。物置もベランダの手すりも破損しなかった。隣の家に電話をして詫びた。

 午後恵比寿ガーデンプレースに行った。サッポロビールがオーナーだがサッポロビルと社名変更してもいい。人の出も落ち着いてゆとりがある。

 いたる所に座る所があるのが心地いい。ただいたる所に人が座っているので座る所はなかった。

 展望レストラン脇の窓から眺めると下を通る山手線が長くてゆっくりと走っている。東京は大きい都市だ。びっしりと小さい家が詰まっている。遥か遠くには環状に十カ所程のゴミ焼却場の煙突が点滅している。

 東京はタンスの中身をぶちまいたような都市に見える。癌細胞のように強く増殖している。不規則で強くそこに住む人の住みかも失いかねない程に発展している。

 三越デパートに入るがベビーカーではエスカレーターを利用出来ない。エレベーターはなかなか来ない。帰る途中碑文谷のダイエーで買い物をした。航平は途中何人かの人にあやされた。



1996年9月24日 火 晴  共有物

 どんなに平和そうに見える家族にも陰の部分や人に知らせたくないプライベートがある。

 しかし最も悲しいことは自分の思いや感情が相手に伝わらなかったり、相手を信じられなくなるときだ。

 明日は調停事件の当事者として東京簡易裁判所に呼出を受けている。共有財産を私は所有しているが、共有者の過半数は共有の分割を求めた。私は共有物の分割は非経済的だと考えるので反対した。その結果相手方は弁護士を通じて調停を請求した。

 共有物の分割請求は形成権と呼ばれ請求と同時に認められる。従って分割は確定的に可能だ。

 しかし、共有物は相続財産である。相続を受けた者は正しくその財産を所有利用し、再び被相続者から相続人に継承されるものだと私は信じている。

 しかし現在の民法は米国の個人主義思想を背景として改訂されて系統をもって所有する思想はない。従って現行法のもとで厳格に個人の権利を尊重すれば相続財産を継承し続けることは私だけの意思では出来ない。

 現行法規を遵守するなら家督としての承継は出来ない。少しの財産に皆が目をむく場合には平等に財産が分けられると言う結果が待っている。



1996年9月25日 水 晴時々雨 調停

 午前中簡易裁判所での調停協議だった。弁護士という職業は依頼者の代理人として依頼者の意思を正しく代弁しているのだろうか。

 もっぱら取得する報酬によって行動しているように見える。そんなことを率直に述べたら
「そのくらいで止めておかないと言い過ぎるにも限度が ある。」
と調停委員からもたしなめられた。調停委員も弁護士だそうだ。

 しかし日本は弁護士が少なすぎる。日本中に15000人程の弁護士がいるそうだがおおよそ1万人に一人しか弁護 士はいない。

 実際私たちは気軽に安価で弁護士に弁護を依頼することはできない。そしてさっきの回答でも
 「言い過ぎるにも限度がある。」
 といった漠然とした回答しか得られない。

 漠然とした反応はその場を一時静めるが調停の互いの納得という目的からは反して行く。やはり鍛えられた弁護士なら具体的に納得される言葉を選ぶ能力があってよいだろう。

 次回までに答弁書を作成して送付するそうだが書式について細かく指示された。提出書式に関して指示を受けるより私が話した内容を文書にまとめてもらえないのだろうか。次回の調停は11月13日水曜午前11時だそうだ。今日依頼者は一人も出席しなかった。



1996年9月26日 水 曇り時々雨 多美ちゃん訪問

 仙台から多美ちゃんが来た。多美ちゃんは里帰りで実家の鴻巣に二週間いるそうだ。二月に生まれた可奈子ちゃんは航平より一ヶ月上のお姉さんだ。

 昨年仙台に訪問した日は多美ちゃんの懐妊がわかった当日だった。その喜びに私たちも後から追いかけて一緒 になった。

 多美ちゃんは
「どうですか。授かった気持ちは。」
と尋ねるが、お互い言葉で言い表せずに喜びが笑顔に代わるだけだった。



1996年9月27日 金 曇り時々雨 縦書き

 裁判所から書面を提出して下さいと言われたが提出書面は縦書きでなければならないそうだ。

 私はマックを使っているがワープロソフトは付属のクラリスワークスを使っていて縦書きは出来ない。添付のもので縦書きが出来ないこと自体はマックは遅れているかもしれない。

 しかし今まで不自由したことは一度もなかった。横書きで十分だった。年賀状もグラフィックと横書きだった。宛先住所はドローソフトで縦に書いた。マックの操作は心地よくて縦書きが出来ないことさえ忘れていた。

 安いワープロソフトを購入すれば縦書きは出来る。しかし納得がいかないのは横書きを許さない理由が不明な 点だ。司法は形式を大事にする側面は強いが文章の堅さも外国語のようであって嫌悪感さえ抱く。その上横書きを許さなければ今でこそ不自由は少ないがワープロ発祥の頃の利便はほとんど無視されていたことになる。

 受け取った書面は和文タイプで打たれている。和文タイプの格調は高いがそのコストは私たち国民の全員が負っている。

 追記
 「MacWORDのお便り」というワープロソフトが標準で装備されていてそこで縦書きが出来ました。
 アップル社様ごめんなさい。



1996年9月28日 土 秋晴  法事

 午前中かずおじちゃんの三回忌で出かける。お経の後、市ヶ谷で供養。食事は美味しかった。チャコちゃんと航平が家で待っていると思うと心苦しかった。

 夕方ダイエーに出かけて買い物もせず、帰りに家族三人ガストで外食。航平が寝ている横で食べるのも気がひける。最近現実の人間と会う機会が少なくて、少し出かけても疲れてしまう。かずおじちゃんが亡くなったのがまだ信じられないのかもしれない。



1996年9月29日 日 晴 環境まつり

 昼深沢児童館のボランティアグループのフリーマーケットを見た後、馬事公園の環境まつりに行った。昨年もらった苗木や種で今年一年随分楽しませてもらってきた。

 今日の収穫は花の種3袋30円、チューリップの球根12個200円、肥料たくさん100円、貰った物ウェットティシュとポストイット、風車だった。

 人がいない馬の競技場の椅子に腰掛けてチャコちゃんと航平に離乳食を食べさせた。終わって帰ろうとすると後ろからはだしの男の子が歩いてくる。

「こんにちは。」
と言うとにこにこしているが、他に誰もいない。
「お父さんは何処。」
と聞いても 「三才。」
と言うばかりで名前も分からない。
「あっち、あっち。」
と言うので行くが誰もいない。

「これは迷子だ。」
抱っこして警察本部にいくと
「ああやっと見つかった。」
と言いながら警察官が手を差し伸べた。途端男の子は大きな声で泣いてまま離れなくなった。

 そのまま引き渡すのが忍びなくて、抱っこして少し待った。5分程して年配の女性が血相を変えて走ってきた。抱っこしている僕の手から良かったと言いながら、ほっとした様子で有り難うございますと言いながらすぐに去って行った。

 家に帰ろうとしたが車の中で航平は寝てしまった。まだ少し早いしそのまま寝かせたいので夕方の買い物に川崎の溝の口に出かけた。

 途中「花工場」に立ち寄って切り花とアロエを手に入れた。溝の口は活気があった。人が沢山いて混雑していた。新しい駅ビルが建設中だった。街を少し歩いてイトーヨーカドーのファミールで夕食をとって航平にも食べさせた。幾つかベビーフードも買った。遠い商店街で買い物をするとそこに住んでいる気持ちになる。



1996年9月30日 月 雨台風接近  ホームページの費用

 9月も今日で終わる。一日雨でうっとうしい。9月の降雨量は6月より多いというが、じめじめしていない。

 インターネットのブームと言うがこの一年の歩みは早かった。一太郎の発売が延期を重ねたのもインターネットの進歩が遠因にあったのだろうかと想像してし まう。

 私自身もインターネットから得られたこととインターネットに没頭しすぎた面とが双幅する。

 経済的な面での私自身の披露をしよう。アウトレットもあってすぐには参考にはならないかもしれない。

本体機器

 マックのPerforma588 74000円  95.11
 
 ウィンドウズ95の発売キャンペーンで安かった。とてもよい機械とサービスで不満に思うことは特別ない。サポートはPerformaフリーダイアルで良くつながる。

プロバイダー接続費用

 年額12000円 入会金3000円 96.3
 
BNNインターネット 幾ら利用しても定額で早く話し中も少なくサービスは良い。12時から1時位は話し中がある。

ホームページ掲載費用

 アキウエブ  年額5000円  96.3
 
サービスは良い。会社の住所は分からない。最初の半年無料。

メモリー
 8メガ 22000円 95.11
 32メガ 17000円 96.6
 随分下がった。最近少し上がっている。

スキャナー
 ヒューレットパッカート 海外製アウトレット
 スキャンジェット3c 600dpi 20000円 96.6
 安くて何かの間違いかもしれない。
 サポートは良い。

モデム
 Tsunagu 18000円 96.3
 良くつながる

書籍
 「ホームページを作ろう」 2800円
 作れました
 ソフトウェアはモデムとここに入っている物を使用。

バックアップ
 PD 東レ 45000円  96.9
 データのバックアップに簡単でとても良い。遅くてうるさい。
 データの保存場所を宇宙空間に置いたような気持ち。

ネットスケープナビゲーター2 3000円
 時々落ちる。何となく不穏な動きが時々ある。
 キャッシュを少なく(4メガ)すると良いような感じ。


 合計  221800円

 電話料金は月10000円位。月40時間程利用している。
テレホーダイは使っていない。

 以上参考になりましたでしょうか。


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