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96年8月

山口 正司             


1996年8月 1日 木 晴れ       スキャナーは面白い 1996年8月 2日 金 晴れ       ホームページの作り方 1996年8月 3日 土 晴れ       喘息 1996年8月 4日 日 晴れ       羽田空港 1996年8月 5日 月 晴夜雨      子供が力を与える 1996年8月 6日 火 晴れ       人の性格 1996年8月 7日 水 晴れ       ぼくのアイロン 1996年8月 8日 木 曇後晴      恐い顔 1996年8月 9日 金 晴れ       東芝テクノ 1996年8月10日 土 晴れ       航平風邪をひく 1996年8月11日 日 晴れ       風邪 1996年8月12日 月 曇後晴れ     ダイレクトメール 1996年8月13日 火 曇時々雨     レジャー 1996年8月14日 水 曇り後雨台風接近 ノンタン絵本 1996年8月15日 木 晴れ       電子メールのガイドライン 1996年8月16日 金 晴れ 酷暑    臨海部副都心 1996年8月17日 土 晴れ       節水器具 1996年8月18日 日 晴れ       戸越銀座 1996年8月19日 月 晴れ       仏教 1996年8月20日 火 晴れ       不安 1996年8月21日 水 晴れ       再開発ビル 1996年8月22日 木 晴れ       修理 1996年8月23日 金 晴れ       里帰り 1996年8月24日 土 曇時々雨 涼しい Eudora 1996年8月25日 日 曇 秋の涼しい風 みっちゃんの家 1996年8月26日 月 晴 涼しい    事故の謝罪 1996年8月27日 火 曇り 涼しい   PDを購入 1996年8月28日 水 曇時々雨 肌寒い 続PD 1996年8月29日 木 曇り 涼しい   こおろぎ 1996年8月30日 金 晴        くすのき 1996年8月31日 土 晴        ピザ

1996年8月1日 木 晴れ   スキャナーは面白い

 スキャナーを購入して無事に全部の機能が動作したが、一つだけ不具合があった。電源コードがアース端子付きのもので、付属する変換プラグが米国製で日本のコンセントに入らなかった。米国は右と左のさし込みプラグの大きさが少し異なっていて日本のコンセントは使えるが米国のコンセントは日本で使えない。それが付いていた。HPに電話すると変換プラグを自分で買ってくれと言う返事だった。アース端子付きのコンセントが標準という前提だ。

 ああ、やはり日本の住宅事情は悪い。コンセントの全部にはアース端子が付いていない。アースなどいらないという人も中にはいるが、僕にはアースは必要だ。良く精神を病んだ人が電気が走る、などと口走るが、アースをとらないと高周波音が発生する場合がある。寝ているときに自分の頭がおかしくなったと勘違いしたがエアコンのアースをとったら直った。

 ところでスキャナーはとても面白い道具だ。もしも持っていなければ是非とも購入することを薦める。よいコンピューターを購入するより一ランク下げて、その予算をスキャナーに回す方がずっと楽しいパソコンライフを送れる。

 今は600dpi,400dpi,300dpiのものが出回っている。たまたま昨日は600dpiのものが手に入ったが、普通、OCRによる文字認識を多量に行う必要がなければ300dpiのもので十分に楽しめる。文字認識では400dpiと300dpiでは少し認識率に差が出てくる。グラフィックで使うときに300dpiをも使うことは私はほとんどない。おおよそは72dpi位しか使わない。何故ならメモリーが16メガバイトなのでおおよそそれくらいが精一杯でかつ十分な精度だ。

 300dpiのものだったら各社のものが4万円弱でも出回っている。コピーソフトはなかなか良く出来ていたし、OCRソフト、グラフィックソフトなどが添付しているものを選ぶと楽しい。私の二つのスキャナーはHPとエプソンだがサポートはHPはとても良くエプソンは電話が繋がらず繋がっても十分な回答がないことがある。ハード自体はエプソンの方が安定していてしっかりとした出来に見える。音はエプソンの方がいい。HPは米国製的で音が大きく、きこきこと鳴って壊れそうな雰囲気がある。終末端子スイッチが付いているのは便利だ。デザインやセンスの上ではHPが好きだ。

 スキャナーというのはTWAINというデバイスドライバーが最近になって標準化されたが、TWAINになってから、とても使い心地が悪くなった。標準のTWAINに一応合わせたという印象でまだまだ進歩して貰わなければならない。予想以上に出来上がりに時間もかかる。認識精度で違うが、一回のスキャンに2,3分かかる。だから、二台も買おうという気になったのだけれどそれがとりも直さずコンピューターの予算を削ってもという意味になる。つまり、多少早いCPUでも出来上がりの時間にそれほどの差が出なくなる。

 それでもスキャナーがあるのは楽しい。好きなアイドルの写真をとって壁紙にするのもよし、ノンタンの絵をとって便せんのはじに付けるのも良し、名簿や新聞の切り抜き、雑誌の記事もスキャナーで取ると内容がより一層良く分かる。OCR文字認識ソフトは手入力では問題にならない位に 早くテキスト化できる。おおよその人には当たり前のことだがスキャナーはあるととても楽しい機械だということを書きたかった。



1996年8月2日 金 晴れ   ホームページの作り方

 ホームページの作り方などというと今さら何をと思われるかもしれないが私たちは出来てしまうともうすっかり当たり前のことと思ってしまう。

 事実僕自身もホームページの書き方を自分のホームページ上で書くなんて全く思ってもいなかった。何故かと言えばホームページの作り方を載せたページは幾らでもあるし私のような者が書いたって不確かな知識で本屋に行けば簡単にそんな本は手に入る。

 ところが今ホームページを持っている人はもうすっかり平然としているようだが誰だって初めてホームページ が出来た時は感動したと思う。いや自分はびっくりした。

 そんな感動を多くの人に知って貰いたいのと十分に詳しく高度に記載されているものは沢山あるのだが簡単に 書いてあるのは実に少ない。いや今の所自分の知る限りでは見たことはない。余りにも簡単すぎてそれだけを書 くのは全くはばかられているとしか思えない。

 ところが今まさにホームページを作りたいと漠然と思っている人にとっては実に大切なことなのだしホームページの作り方を知らない人にとっては実に重大な知識かもしれないし自分にとっても大切だった。

 この間秋葉原のT-ZONEでホームページを作りたいのだがどんなマシンを購入すれば良いかとIBMゾーンで店員に聞く年配の男性がいた。そこで店員はなんと
「ホームページはごく一部の簡単に作られているのは易しいだろうが多くは高度なプログラミング知識が必要でそこに至るには並大抵ではできないし、高性能のマシンが必要だ。」
と説明した。

 私は店員を責めるつもりは全くない。実にあっているようでもあるがその説明には反発したかった。再びすれ違って上の階のカフェで声をかけた。そして
「ホームページを作るのは簡単でほとんどのホームページは恐らくだれでも短時間のうちに出来ますよ。」
と言った。

 彼はどちらが本当の説明なのかをはかりかねるようだったけれど実に簡単に出来るのは高度なコンピューターの知識を持っている人だけではないと思う。

 しかしウィンドウズ95のインストールの始めの画面で
「次にというところをマウスで押して下さい。」
というモニター画面の次と表示されているところにマウスの本体を画面に押し当てる人を描く漫画を見た。

 これは本当に笑えない。実に悲しくなってくるのはコンピューターに対する知識や教育が何処に行っても安く簡便に得る手だてがない時代に私達は生きているのだと思ってしまう。

 そしてホームページの作り方だけれど、良く聞いて欲しい。

 あなたの今見ているネットスケープナビゲーターの上の段にある表示というメニューを開けて、その中の文書のソースと言うところを開けて欲しい。すると自動的に何やら文書が出てくる。

 そこで、直ぐにこのインターネットの接続を切ってしまう。そして同じくネットスケープナビゲーターのファイルメニューの中のファイルを開くというところからその出てきた文書を指定してやるともうこのホームページはあなたのものになっている。

 このページの作成著作権も文書の作成著作権もあなたに差し上げる。だから私のこの文章が書いてあるところにあなたは自由に文章を綴ってプロバイダーに送ってやればそれだけだ。たったそれだけのことだが著作権の問題があるから誰も言わない。

 著作権は重要で尊重して欲しいが、参考にして勉強することは公開されていることだから禁止されていない。もし不幸にして文字化けするようなら外国のページでやってみよう。

 さあ、一分後にはあなたのホームページが出来ている。細かい知識はその後覚えればいい。



1996年8月3日 土 晴れ 喘息

 三日前の夜から喘息の発作になっている。小発作で日常の生活にほとんど影響はない。発作が起きると精神的 にも肉体的にも自分自身の内面ではかなり異なる。だから自分の性格は発作の時々で変化してしまう。えっ、こ の人そんな面があったのか。と思われる程に違ってしまう。人を遠ざけるようにもなってしまう。ここ二三日の 日記は確かに何時もとは違う。

 オリンピックの代表選手の中にも喘息の選手は何人かいるくらいだから病気でない時にはほとんど健康な人と変わりはない。しかし、他の病気になっても合併症として発症するのがやっかいだ。つまり別の病気になったと きに互いの薬が互いに悪影響を及ぼすときがある。

 子供の頃は喘息は決して死なない病気だから安心しなさい。と良く言われた。確かにどんなに息が出来なくて苦しい時でも死ななかったし死ぬような気持ちにもならなかった。

 しかし、最近大人になると、少しの発作の息苦しさは死につながるようにも感じるときがある。恐らく別の癌のような病気にかかってもきっと死亡診断書には呼吸不全と記入されるのかなと思ってしまう。

 今回の発作は二年ぶりくらいのことになる。実に二年間発作なしで薬もなくて生活したのは生まれて初めてのことかもしれない。

 二年程前に渋谷の道玄坂のヤマハのビルの四階にある渋谷診療所と言う漢方医院に行ってから良くなってきて いる。

 小さいころから喘息と言うと沢山の人がアドバイスをくれて良いと言うことを片っ端からしていった。漢方も くこを煎じて飲んだりしていた。

 しかし、ステロイド剤の副作用で精神も壊してしまったりしたこともあって一生付き合うつもりで対処薬だけ を服用して根治療法は疲弊してあきらめていた。だが健康保険法の改正もあって漢方医療が受けやすくなって出 かけてみた。

 行ってみるとかつて大病院で処方されて全く効かなかった薬を処方されただけだった。ツムラの19番小青竜頭という薬はかつて飲んだし、良く近所の医者でも処方されるものだった。大体薬屋で風邪薬で売っている。

 ああこれは全然効かない薬だと思ったがしばらく飲んで三ヶ月程経つと大分良くなった。西洋薬を飲むと必ず起きる心臓の動悸や手の震えもなくて、薬を飲む不快感がなかった。引き続き飲んでいるとすっかりと改善され て全く飲まなくてもいられるようになった。

 今回の発作はその日に限って換気を不十分にして睡眠をとったことが原因かもしれない。

 チャコちゃんと一緒に生活してからは空気が綺麗になっているようで全体的に実に健康になってきている。おそらくもう二三日するとまた健康を取り戻すと期待してい る。



1996年8月4日 日 晴れ   羽田空港

 まだ喘息の症状はあるけれどうちの中にいるよりも外に出た方が快適で自動車に乗るのは回復に良いから自分 からも誘って家族でドライブに出た。

 チャコちゃんは作り終えたBABY IN CARのキルティングのまるいサインを後ろの窓ガラスに張って出発した。

 何処に行くというあてもなくただ海の方角に向けてスタートした。環七通りをまっすぐに行くが海というのは東京には多くはない。お台場海浜公園の他新しく出来た公園もあるけれど銀座に出るかここから高速道路に入らないと行けない。海の間近に来てもあるのは工場や倉庫だ。分かっているけれど産業が優先だと感じてしまう。自分達が気軽に楽しめる海がすぐそばに欲しい。

 何処でも良かったが通りがかりの大井スポーツセンターで昼食を取った。この公園はせせらぎが子供の絶好の遊び場になっていて近くに行くと涼しい。沢山の家族やスポーツを楽しむ若者がいて、のどかな様子だった。航平にとって初めて入ったレストランということになった。

 しばらくバギーを押して一回りしたあと、その前にチャコちゃんが行こうと提案した羽田空港に向かった。航平に飛行機を見せたいと言うわけではない。空港なら設備がしっかりしているからバギーを押しても十分に移動が簡易だろうと思ったからだ。逆に言えばそこ以外に簡単に移動できる場所が思いつかなかった。新しくなったという空港ビルのビッグバードもまだ見たことはない。

 ゆるゆると羽田のあたりのこまごました通りを抜けて空港に入ると前の施設はほとんど押しやられて四キロ程海の方角に別世界のような大施設が建設されていた。

 駐車場から出発ロビーに入ると四階まで吹き抜けの新しいビルに幾つものストアが軒を連ねていた。待合い客は子供が多くてChildなんていう名前のカフェもあった。子供に飛行機なんて意外な気持ちだったが遠くへの旅ほど負担が少ないかもしれない。

 そのまま空いている座席でどこでも出かけられたらどんなに幸せだっただろう。それでも下見として楽しんで授乳室でおっぱいをあげて、展望台を眺めて帰ってきた。



1996年8月5日 月 晴れ夜になって雨  子供が力を与える

 体調は余り良くない。風邪かもしれない。ドイツの昌ちゃんから暑中見舞いが来る。スペインに休暇で出かけるそうだ。返事にこの日記を印刷して送る。スウェーデンの高宇にも一緒に印刷して送る。薄い紙への印刷は手 間がかかる。

 インターネットの時代というが最も利益がありそうな二人もまだ利用していない。手紙もそれ程は書かない二人だし、日本のある程度の情報は十分に手に入れてるだろう。

 航平の風呂は三月の出産後毎日僕が入れていたがチャコちゃんがベビーバスで入れることになった。手伝ったがもう大分大きいので入れずらい。泣いて叫んだがなんとか入れた。チャコちゃん一人でも入れられるように練 習してみよう。

 ところで出産前に子育てに全く自信がなくて、やっていけるか不安だった。子育てに自信がないからまだ子供はもうける気持ちにならないという手紙も戴く。

 やってみると誰でも分かるのだが、子供が親に力を与えてくれる。今の所、運もいいのか途方もなく困ったことはない。その度に自然に体が子供を育てる方向に動いていってしまう。

 出産前の不安は未知への不安だろう。持つ前に無理だろうと思ったのは、実は、子供を持たない自分を楽しみ たいという気持ちだったかもしれない。



1996年8月6日 火 晴れ 人の性格

 人の性格や個性はいろいろあって、いい人や悪い人、面白い人や恐い人、冷たい人や、頭のいい人、だまされる人、犯罪を犯す人など多種多様で日本の外に出れば外見もまた随分と違ってくる。

 個性の違いに普段は注目しないように考えている。つまりどんな人もほとんど同じだと考えるように努める。自分と同じ側面を考える方が生きていく上では楽だと思う。

 個性や性格の違いは外面に現れたわずかな違いで、同じ個性を互いに持っているだろうと考えるようする。悪いのは自分に悪い心が芽生えかねないからこそ判断できる。

 頭脳明晰な人は知識を得るに幾分かたけた志向の個性を持ち、面白い人はユーモアのセンスに少したけた志向をもっている。

 すべての個性は誰でもが多かれ少なかれ持っていて、ひとつひとつの個性の総和は等しいとなるべく考えるようにしている。

 どこかに障碍があって、手が十分に動かせなければ、手の力が劣る分、例えば足の器用さとか人に対して思いやる力など他の力が増してきて同じだけの幸福が得られるしくみがあると信じている。衣食住が有れば、平等で誰もが幸せになれると信じたい。



1996年8月7日 水 晴れ   ぼくのアイロン

 人の個性の違いに着目しないように努める方が楽だと昨日書いた。しかし現実の自分は人の個性やその時の相手の気持ちや気分、特徴などに対してまるでアレルギー体質のように過敏に着目してしまう。

 相手の個性に反応して真実の自分よりも相手にとっての心地よい自分になってしまう。相手の頭で考えるように話してしまう。

 だから大勢で集まって会話をすると右と左で話が違って、自分が何を考えているのかも見失なう。そんな時は体が震える。

 だから昨日書いたように他人の個性に着目しないほうが楽だと考えるし考えていることは口にも出てしまう。

 それを聞いて他人の個性に合わせている私を見ると、言うこととやることが違っているから信用を失う。自分の希望と現実とが一緒になって誤解されていく。

 他人に対してそうあるべきだと押しつける時にはさらに事態は悪い。人にはこうだと言いながら自分は反対のことをする。他人に押しつけたり自分のそうでありたい欲求は話さない方が過ちは少ないが、人の口に戸は立てられない。口は災いの元だろうか。

 チャコちゃんが今来てこれを読んで、結局今体調が悪いんだよと言っている。こういう時には新沢さんの作ったとらや帽子店の「ぼくのアイロン」を歌えばばいいんだよと横で歌ってる。

♪♪みんなとげとげ怒ってる、アーイロン、アーイロン
しゃっきりすっきりさわやかいいきもち。♪♪



1996年8月8日 木 曇り後晴れ  恐い顔

 航平は順調に成長して4カ月と20日ちゃんだ。3、4日前から僕は体調が悪いので風呂はチャコちゃんが入れている。航平は僕が入れると長湯で暑苦しいのか、終わり際に良く泣いた。チャコちゃんに替わってからはご機嫌だ。

 航平はチャコちゃんを見てはにこにこする。僕があやしても無視する。僕よりチャコちゃんの方が何倍も好きだ。

 最近は離乳食で点数を稼ぎたくて僕が食事をやる。それでもチャコちゃんは僕より何倍も航平の方を見て愛情をかけている。父親は母親と子育てを競うより、子育て以外の仕事をする方が家族の為になるだろう。世間から男女の役割を固定化されたくはないが、家の中では向き不向きで少しずつ分業化している。

 チャコちゃんが今これを見て言うのは最近体調が悪くて恐い顔してるから航平は分かるんだそうだ。



1996年8月9日 金 晴れ  東芝テクノ

 床屋に行って秋葉原に行く。これは一つのコースのようになっていて床屋で髪を刈りながらこの間のあった出来事を思いだして、時間が止まっているように思えてしまう。

 秋葉原のドトールコーヒーの前でコカコーラで薬を飲みながらパソコンの値段を掲示している張り紙を眺めていた。向こうから杖をついてゆっくりと歩いてくる若者がいた。

 すれ違うときに聞き取りにくい声で
「東芝テクノは何処ですか。」
と尋ねられた。彼が来た
道の方を指して
「石丸電気ととんかつ屋の間を左に曲がって40メートル位ですよ。」
と言うと
「間違えた、40分位かかる。」
と言いながら来た道をゆっくりと歩いて行った。

 しばらく彼が行ってから、何も手伝えないけれど追いかけて行った。東芝テクノが営業しているのを確かめて彼の所に戻ると、
「車の中からコンピューターを取ってきてくれますか。」
と頼まれた。行くと鍵がかかっていない車の中にコンピューターがおいてあってそれを持ってきた。鍵がかかっていると開ける時に転ぶらしい。

 そう言いながら入り口の石造りの段差でスローモーションビデオのようにゆっくりと後ろ向きに背中から激しく音をたてて倒れてしまった。僕は右手に彼のコンピューターを持って左手に飲みかけのコーラの缶を持っていて倒れると分かりながら助けられなかった。

 激しい音がして東芝の中からも何人かの人がでてきた。幸い彼は怪我をしなかった。ころぶのはなれていると言いながら中に入った。中の職員が電話しているのを待つ20分間ほど彼と話しをした。

 15年前の21の時、合宿に行くのに、危ないから電車で行ってと恋人から言われたのに、バイクで出かけて、環七道りでカーブを曲がりきれずに、向かいを走るトラックに突っ込んだ。

 何日間か意識不明で親は体がミンチになってたと言っていた。見ると両手と両足と話し言葉と新しい記憶の獲得に障碍がある。

 彼はC言語のプログラムの内容を問い合わせに来た。手が不自由だからかOSはDOSを使うらしい。パソコン通信はしたいが今はしていない。ハンサムな美しい顔立ちで、かっこいい外車に乗ってコンピューターのプログラムを作り会社に勤務して、優しい様子だからさぞかし女性にもてると思うがこんな体だから結婚はできないと言った。一瞬の交通事故で彼の人生は変わったが、たどだとしく話す彼の表情はきらきらと輝いていた。



1996年8月10日 土 晴れ 航平風邪をひく

 三日位前から航平はせきをしていたが、昨日僕が秋葉原に行っているとき、更に悪くなって、チャコちゃんが夕方となりの人に聞いてハゼ山耳鼻科医院に連れて行った。診断は風邪だった。

 僕の今の体調が悪いのも風邪だと思うので恐らく僕からうつったのだろう。昨晩はせきが苦しそうだった。はじめての病気でどうしていいか分からない。無性に不安になってしまう。

 午前中、ハゼ山先生に出かけて、鼻水を吸い出して薬を噴霧して、ルゴールをのどにつけた。上手に短時間で終えて泣かなかった。水薬をくれた。

 食欲はあって表情は豊かだ。せきと鼻水とくしゃみが出る。何時もより泣き方に元気がなくて涙がこぼれずに目にたまっている。お風呂はいけないのでベビーバスにお湯を少し溜めてお尻をながした。一日中何処にも出かけず家にいた。



1996年8月11日 日 晴れ  風邪

 航平の風邪は軽いがせきは苦しそうだ。食欲は旺盛で手足を動かしたり動作は活発だ。水薬を飲んで風呂は控えて台所のシンクでお尻だけをあらう。

 僕の風邪も相変わらずで体は重い。チャコちゃんは元気だけれど、一日中何となく心配したり、こうやって抵抗力がついていくんだと自分を不安から納得させている。

 家族全員一日中家の中にこもっている。夕飯は餃子を作って食べて、その後戦時中に赤紙が来た村の様子を描いたNHKのテレビを見る。



1996年8月12日 月 曇り後晴れ  ダイレクトメール

 NTTのダイレクトメールに注意

 NTTからのダイレクトメールの中に入っていたCD、まるちねっとあいオンラインマガジンを見てみると、自動的にフリーダイアルでNTTに接続してISDNに加入するための情報が得られた。

 楽しんだ後、インターネットへの接続ソフトを見事に壊した。説明書の後ろにそうならないための注意書きがあって、見なかった自分が悪いのだが、インストールも操作も簡単なのに表示が小さくすぎる。

 ISDNの接続も10月まで出来ないらしい。しっかりしてくれNTT。



1996年8月13日 火 曇り時々雨 レジャー

 航平の風邪は大分良い方向に進んでいる。はぜ山先生のところで鼻水を取って貰うと沢山出てくる。のどにルゴールを塗るのも先生は上手で航平はけろっとしている 間に処置が終わる。

 お風呂にはまだ入っていない。ベビーバスで少しだけ体を洗うが2.3分で終える。

 昨日お盆で休みになるので皮膚科医院に行ってあせもの薬を貰ってきた。僕の薬もなくなってしまうが病院は今週一杯休みだ。

 あちこちで夏のレジャーの話を聞くがうちのレジャーは航平とたわむれて遊ぶことだ。



1996年8月14日 水 曇り後雨台風接近 ノンタン絵本

 航平は最近ノンタンの絵本の表紙を見てよく笑う。不思議なのは何故ノンタンが面白いと分かるのだろう。私が笑っても微笑むし、怒った顔をすると泣き出すときもある。

 テレビの恐いシーンで泣くときもある。ノンタンの絵が何故彼にとっておかしくて笑ってしまうのだろう。誰もノンタンが面白いと教えた訳ではないし、おかしいと学習する能力も今の所全くない。

 それでチャコちゃんはノンタンのぬいぐるみを作ってみた。ノンタン絵本の方がよく笑うけれどノンタンぬいぐるみを見てもやはり笑う。

 ぬいぐるみを航平の手の近くに持っていくとちょうど手や足の所を上手につかむことができる。手に取って笑いながら眺めた後、瞬時にぬいぐるみの頭は航平の口の中に入ってペロペロなめている。

 写真はチャコちゃんが作ったのんたんぬいぐるみと何日か前に作った自動車の後ろに付ける掲示板だ。スキャナーの上にぬいぐるみを載せて特別な設定もなく、出っ張っているのでふたを半分くらい閉じて取り込んだ画像だ。



   


   





1996年8月15日 木 晴れ  電子メールのガイドライン

 かつて私は地方公務員だった。地域の人のために尽くしたいと思って志望した。しかし実際に仕事をすると多くの職員は真面目で前向きに努力するのだが、組織自体が硬直していて地域住民のために努力しようとしてもそれは十分に出来なかった。改善される方向も見いだせなかった。

 自分は地域の人のために尽くせないことに失望していた。こんな無意味な人生を送っていて良いのだろうか、辞めたいと毎日考えていた。

 ある時辞職の申し出をしたのだがそれは地域の人に尽くせなかったから申し出たのではなかった。向かっている仕事に疲れたのだった。もともとやる気のない所に仕事が積み重なってもう逃げたくなったのだ。だからいまだに自分としてはかっこが悪い。しかしチャコちゃんの好きな、くどうなおこの言葉の一節だ。

したことはしたかったこと
しなかったことはしたくなかったこと


 今の私は実に幸せだと思う。他人から見るとそして客観的な様子から見ると辞めなければ良かったのにと思う人も中にはいるかもしれない。しかし私は心から今の状態を望んだと感じている。また人はきっと現在の自分を悪くは思わないからもしも辞めなくても、それで良かったと思うだろう。

 人は真の動機と異なることをその理由とするときがあるかもしれない。私たちは一人の人間で疲れるときもある。間違うこともある。しかし何とか立ち直れるのは誰かの愛情があるからだ。


 今ラインを接続してばうわうさんの日記を見てみた。登録情報を見るとやはりすべてが消えていた。今まで楽しませて貰っていた過去のジョークや言い回しが思い出される。
うちの中の会話は最近
「コラコラ」とよく言う。
「また、ばうわうさんの言い方になっちゃった。」
と言っては笑った。

 とほほ日記が帰って来てくれれば私は歓迎する。

先に書いた、とほほ日記よ、復帰して欲しいに行く

夜久則彦さんのことで、みんな落ち着いてに行く





1996年8月16日 金 晴れ 酷暑  臨海部副都心

 自分がひいた風邪は航平にうつり、最後はチャコちゃんにうつった。チャコちゃんは薬を飲んでいるが元気だ。航平は薬を飲んで鼻水も出ているが風呂の許可が昨日でた。私は漢方薬だからしばらく飲むが全快した。

 体を考えてしばらく家の中に閉じこもって気持ちが沈んだ。盆の休みだから平日だが遊ぼうと言って出た。

 すいている都心に向けて発進した。駒沢通りを何処までも行って麻布に出た。渋滞はないががらがらではない。チャコちゃんは首相官邸を見たことがないのと言って一周する。ここで幾度動乱があっただろう。

 銀座を抜けて海に向かう。花粉症だからか、海に引っ張られる。
 「昨年、広い施設に人がいなくて楽しかった臨海部副都心に航平のおむつとおっぱいのために立ち寄れたらいいのになあ。」
 とチャコちゃんは言うが、ここはその臨海副都心だ。

 しかし駐車場はほとんど満車で見上げるとゆりかもめから降りてくる人が行列している。ホームページの写真集の中にがらがらと書いたのは誤解を招く。

 去年はひっそりとしてオタワを歩くようだった。今はレストランの赤いのぼりがにぎやかだ。

 少し走って良い場所ではないが海の近くに止めて車内で航平の食事と作ったおにぎりを食べる。休息して銀座にもどり日比谷公園で休んだ。

 久しぶりだった。野外音楽堂の横は見違えるように整備されて花が植えられている。バギーに乗った航平を写真に撮った。綺麗な場所でフィルムの残り全部撮った。
「8枚あったのにもうない。」
と怒られる。

 この公園は綺麗だ。整備されている。キャンディを木陰のベンチで食べて、航平になめさせた。子供用の遊具にチャコちゃんは航平を載せて遊んだ。


     


     日比谷公園での写真






1996年8月17日 土 晴れ  節水器具

 外に出たいので家族揃って東急ハンズに行く。道は空いているが渋谷は大変な混みようだ。用事は取って付けたもので、節水器具を買いに来た。

 風呂の給水に一定量を指定して自動的に湯が満たされて止まる器具を蛇口に付けていた。便利に使ったが航平が産まれる前に壊れた。水道料金が航平の産まれて相当上がった。以前は風呂に水をためる間にこの日記は書いたが途中でよく忘れた。

 ダイエーにもダイクにもなかった。店員に聞くと製造中止になったと言う。似たものはあるが使い勝手が悪い。どの店員も商品に付いて熟知していた。何故あんな便利なのに製造しないのだろう。後継者難かなと想像する。

 捨てたが修理出来ただろうか。世の中に商品が揃っているのに、自分が古いか製造業の不振か、時代の移りを感じる。結局航平用のタオル地と布を買う。

 航平の二度目の外食はその隣のマックのアイスクリーム。

 今までお湯が顔にかからないように細心の注意をしていたがシャワーを航平に頭の上からかけてやると大喜びになることを発見した。

 航平のかわいいしぐさは頭をかくこと。手が短いので横を向かないとかけない。

 航平の友達は「風みつる」君。寝ている横で「風になびくカーテン」の名前。顔の上にかかって笑う。



1996年8月18日 日 晴れ  戸越銀座

 外出のために赤ちゃん本舗に買い物。ベビーフードと洗髪ハット、沐浴剤、ベビー洗剤、電動整髪機を購入した。

 買い物をすると気持ちが晴れるのは何故だろう。ブローカーの語源は購入したい気持ちと販売したい気持ちが盛り上がるの壊すことだと聞いた。ベビー洗剤で欲求の整理が付くだろうか。

 赤ちゃん本舗の実体は小売店だが、問屋で子供のいる人は特約小売店として登録できる。バックマージン(100円の金券)や、仕入れ、仕切り書、請求伝票の文字がいかにも安くて誰にも開放しない特別なあなたの店という印象をかもしだしている。

 購入したナショナルのパックンスキカル(2000円)の保証書に店の印がないとチャコちゃんは言うが、うちが小売店だから印鑑はうちで押す必要がある。ベビーの店チャコちゃん。

 帰りに戸越銀座を散策する。とおり際ここにはまだ来たことが無いねと言いながら立ち寄る。ゆったりと商店街を歩いて戸越の住人になる。

 チャコちゃんはしっかりとした作りのティーシャツを買った。アメリカではなかなか手に入らないMade in USAで1000円。

 古い商店が多くて誰もが気張らずに買いやすそうな通りだ。おでん、肉屋のフライ、お茶屋が商店街の匂いだ。戸越は江戸越しという表示があった。

 コンピューターショップの散策にとても楽しみにして いるのは秋葉原ホットラインだ。





1996年8月19日 月 晴れ  仏教

 母の二十三回忌。妹家族訪問。皆キャンプに行ったので真っ黒の顔だった。とも君はまんがが好きで話にユーモアと機転がある。思いやりがあって優しい。正人氏は会社帰りできりりとしている。妹はあちらこちらと忙しそうだ。

 命日の日は親戚が顔を合わせたり互いに無事を話したりする楽しい時でもある。仏教のしきたりはめんどうな時もあるし、人の心に合う時もある。今の時代に仏教のしきたりがどこまで融合されるか新しい感性と仏教がかみ合うのは仏教界の努力も必要だ。

 宗教の時代と言うが仏教が私に果たした役割は私の努力のなさもあって情けない限りだ。自分が信ずることしか自分は出来ない。信じることは自分にとって短期的に得なことになりがちだ。

 自分の信ずることに余りに拘泥すると自分に今、現在、得なこと以外は出来ない自分になってしまう。仏教の教えは長期的な視野から短期の利益と長期の利益を考量して利益の最大化を計っているだろう。そんなことを寺の住職から聞く機会も少なくなっている。



1996年8月20日 火 晴れ  不安

 家族三人の夏風邪はやっと収束して皆健康を取り戻した。航平は風呂に元気に入れるようになったし頭の上からかけられるシャワーの雨に目を開けてコホコホとむせながら楽しんでいる。

 おととい航平ははじめての寝返りをした。きのうは寝返りが続いてベビーベッドの頭の上の方に縦になって寝ていた。夜通しエアコンはかかっているがふとんをかけていないことが多い。

 夜7時から12時までの間は私のベッドで寝ているが寝返りで落ちる不安がある。下に布団を置いて落ちたときに備えた。ベッドと壁の間に挟まらないかとも感じる。

 育てられるかどうかの最初の不安は克服したものの事故から逃れられるか否かの新たな不安が出る。不安は永遠に続くだろうか。



1996年8月21日 水 晴れ 再開発ビル

 夕方家族で野沢へ買い物に行った。チャコちゃんは野沢の八百屋に時々買い物に行く。その道筋を僕にも教えたいので一緒に歩いて行ってみることにした。

 野沢は環七通りと246号線の交差点で家から歩いて7分程のところにある。見ると再開発の表示があって野沢商店街は23階建てのビルに変わるらしい。お茶屋で話を聞くと龍雲寺の所有する敷地内に建つ靴屋までの商店が再開発の範囲で完成は三年後になるようだ。

 ここは環七通りが出来てさびれてしまったが当事者も近隣も公園が出来るなどで期待されているらしい。地価の下落が続く時代だが環境が良くなる変化は誰もが期待している。

 帰りにガストで航平の三度目の外食をとる。客が立ったり座ったりして気兼ねなくゆっくり食べられた。自分達も半年ぶりの気軽な外食で興奮した。



1996年8月22日 木 晴れ  修理

 衣類乾燥機がいつまで運転しても乾燥されない。松下電器に問い合わせると修理はおよそ一万円以上かかるらしい。当日修理見積もりの上修理しない場合は3000円かかるそうだ。

 同時にエアコンから水が漏れている。出口のホース部分を見てみたが詰まってはいない。本体の中から出ているので三菱重工に問い合わせると水漏れの修理はおよそ5000円かかるらしい。

 昨日双方とも修理を申し込んで松下電器は時間が空いたからと言って昨日二人で来た。故障個所は電話の段階で分かっているらしくベルトを30分程の時間をかけて取り替えた。料金は8000円だった。

 三菱重工のサービスマンが修理に来てエアコンの本体を開けると水がたまる部分があってそこのほこりをとると直った。修理はカバーを開けるのに5分程かかって全体でも10分の修理。料金10000円。本体カバーのネジが隠れていたので自分で開けられなかった。ネジの位置が分かれば簡単だった。

 松下では一万円以上と言われて修理にとりかかる直前に8000円と提示されて依頼した修理で満足した。三菱重工は5000円と言われて終わったら一万円だった。物の値段は厳格に比較検討するがサービスの値段となると何も言えない。修理する人は暑い中無口に直してくれて、自分も有り難いので金額の多寡を言えなくなってしまう。言えなかったことが不満になる。



1996年8月23日 金 晴れ  里帰り

 チャコちゃんはお義母さんの命日と実家で祭りがあるので航平を連れて一泊の里帰りに出かけた。朝私がベッドで寝ている頃に支度を済ませて起きた時にはいなかった。

 出産後初めてのことで嬉しそうだ。明日には帰ってくるが私は独身時代のようにふらふらと一日を過ごした。

 昨日のエアコンの修理の不満について営業所に聞いてみた。値段は高かったようで昨日の作業員が返金に来た。自分の思いが通じて満足したがその時申し出れば互いに余計な手間がなかった点を反省した。



1996年8月24日 土 曇り時々雨 涼しい Eudora

 午後四時頃元住吉駅から電話があってチャコちゃんを自由が丘駅まで迎えに行った。里帰りは楽しかったようで航平も好機嫌のまま過ごしたらしい。

 お祭りでビニール製の特大ハンマーを貰ってきた。家に着くと締め切った空気に驚いて火がついたように泣いた。近所の林までだっこして連れていくと泣き止んだが、少しすると再び大声で泣き出した。外で泣くことは余りない。とって返したが家で待っているチャコちゃんの所まで遠くで泣く航平の声は聞こえた。

 チャコちゃんの居ない間コンピューターに向かっていてトラブルがあった。時々メールを消去したと言うトラブルをあちこちのホームページで見ていたが自分も同じ経験をした。

 メール受発信用にフリーソフトのEudoraを使用している。送信簿が一杯になったのか、送信するとごみ箱に 自動的に入ってしまう。それでシステムにあるメール箱を取り出して他のフォルダーに移動した。

 その後Eudoraを稼働すると再び自動的にシステムの中に新しいメール箱が出来る。その中に古いメール箱から設定ファイルを取り出して新しいメール箱に入れてやるとEudoraを使い始めた状態に戻った。

 同様に今までの送信簿と受信簿を入れてみた。入れるときに
「同じ名前のファイルがありますが新しいものにいれかえますか。」
という注意があってリターンキーを押した。

 その瞬間今までのメールは全部消去された。確かに空っぽのメール箱の方が新しい。

 ノートンユーティリティを買いに行こうかと思ったがバックアップしたフロッピーを丹念に見ていくと、幸い昨日バックアップした部分に納められていた。百に一つの幸運なバックアップだった。

 その後再度作業をしてみると空のメール箱の中の受送信簿をあらかじめごみ箱に捨てておいてもごみ箱を空にしないと警告なしで同じように消去されてしまう。システム内だからだろうか。

 現在の状態は送信日付がなくなって同じ状態には戻らない。メール箱はフロッピーディスク二枚だった。Eudoraをいじる前にはバックアップが必要だ。



1996年8月25日 日 曇り 秋の涼しい風 みっちゃんの家

 チャコちゃんの幼ななじみのみっちゃんの家に家族で訪問した。夫のかずおさんからどうぞこちらにと誘いを受けて今日の訪問になった。

 私は外に出て訪問する機会が少なかった。だから家族でよそのお宅を訪問するのははじめてのことになる。航平は自分の家に居るように楽しくはしゃいだ。

 遼太くんと映理ちゃんが小さかった頃のアルバムを見ると幸せが二人の成長と共に刻まれている。二人の楽しいことがそのまま両親の幸せを表現している。映理ちゃんは航平のために前からあたためておいた、タオルをプレゼントしてくれた。

     



1996年8月26日 月 晴 涼しい 事故の謝罪

 昨日の夜9時過ぎに玄関のチャイムの音がした。インターフォンをとると訪問者は名前を名乗った。よく宗教関係者が訪問することがあるから夜遅いのでその場で失礼しようと思った。

 よく聞くと3月22日に起こした交通事故の相手方の青年だった。招き入れると玄関先で交通事故の謝罪をしておわびをいただいた。

 私は保険会社から十分に補償を受けたし、何より青年が無事で自分自身安心している。

 彼は事故からずっと謝罪したくてこれで気持ちが晴れると言った。

 若い人が無礼だいう話を時折聞くが、けがれていない純粋な心だった。



1996年8月27日 火 曇り 涼しい PDを購入

 秋葉原でPD(東レTD-6010)を購入した。先日メールソフトを壊しそうになったので、やはりバックアップは きちんとしておきたいと思った。

 自分で作ったデータの部分は時々バックアップするがハードディスクが壊れたときにもシステム全体をそのままの状態で保管しておきたかった。

 今まではフロッピィディスクでバックアップして自分のデータ部分だけなら十分だった。しかし最近はインターネットの通信設定やハードディスクの空きが少ないことと大容量の保存装置が出回っていることで、フロッピーで保管していると無性に寂しい気持ちになっていた。

 PDを購入するために秋葉原に出かけた訳ではないが帰りまぎわになかば衝動的に購入してしまった。MOかPDかは今まで随分と迷ったが、他の人と合わせる必要がないことと、結局一枚で私のハードディスクは全部が入るのでPDにした。

 接続するのに困ったのはスカジーケーブルの太さと電源コードの短さで置きたい場所は置けない。電源スィッチは本体の後ろに付いていて操作しにくい。

 使用して最も驚いたのは音だ。台所の換気扇に近い大きい音がする。扇風機を付けて部屋の換気扇を動かすとそれ程気にはならないが、全部が止まっていると動かしたい気にならない。

 機器を本体より先に電源を入れないと、途中から電源を入れても(付属のソフトの操作で認識は可能だが)基本的には認識されないのも使い勝手が悪い。こんなうるさいものを最初からつける気にはなれない。

 ハードディスクのコピーはマウスを移動して重ねるだけの操作だ。スピードは遅い。始めは二時間かかってもコピーが終了しなかった。システム内のネットスケープナビゲーターのキャッシュファイルが細かく切断されていてその部分の読みとりに時間がかかっていた。

 一度中断してキャッシュをクリアしてハードディスクのファイルの整理をして再度作業した。おおよそ一時間で終了した。

 PDから立ちあげると自分のシステムと同じものが確かに入っているので一応購入の甲斐があった。フロッピーで保存しているものも随分たくさんの量が入っていく。

 ファイルが分断されていなければ遅さは気にならない。通常のCDを読んでいる感じだ。CDドライブは4倍速だが本体の倍速と比べてほとんど速さは似たように感じた。

 PDはあれば便利で買って良かったとは思うが、やはりまだ過渡期の商品だ。もっと速く使い勝手が良くて本体に内装されたら購入するものだろう。

 昔フロッピーディスク装置がないころに外付けの記憶装置を購入して接続した時代に戻った気分だ。最も気になることは本体のハードディスクが動き過ぎて壊れない だろうかということだ。






   航平



1996年8月28日 水 曇り時々雨 肌寒い 続PD

 購入したPDにどんどんとデータを入れた。500メガのハードディスクとフロッピーディスクでやりくりしていたから実に640メガの容量は自分にとって余りある。6畳一間の生活から田園地帯の屋敷に引っ越したようだ。

 カタログ記載の目的は得られたが現実の使い勝手は大変に悪い。スカジー番号と終末抵抗の設定はディップスイッチで行うから設定の変更のたびに説明書を探し出す必要がある。

 デバイスドライバーと称するPDを操作するB's Crewと言う付属ソフトも理解しにくい。マウント、ドライバーの更新、フォーマットが必要な場合とイニシャライズが必要な場合、転送幅と同期転送幅の設定、ラジオボタン、フラグメンテーションと、普通の生活をする人は購入しないで欲しいと言う単語が続く。

 アンケート葉書に
「コンピューターを知らない人に説明書を書き直して貰って下さい。」
と書いた。

 各種ディスクの最適化が可能だが本体ハードディスクの最適化は出来ない。

 PDはCD再生が出来る。この機械を開発した人は恐らくCD再生に多大な満足感を得ただろう。現況のCDドライブにとって替われる。CDドライブを持っていない人にとってこんな素晴らしい機械はない。しかしCDドライブはある。

 そして、音楽CDを聞くにはスピーカーを付けなければならない。本体スピーカーから音は出ない。結果音楽CDは使えない。前面に音量つまみはある。コンピューターCDソフトは動画も音も出る。

 スピードは遅いのでシステム起動ドライブとしてはなめらかには動かない。ぎくしゃくする。ピンボールゲームは差し支えなく出来る。

 使い勝手が悪いが容量増加の価値を受けてその内に慣れることを期待している。悪くはないが満足した出来ばえではない。



1996年8月29日 木 曇り 涼しい こおろぎ

 午後妹が自転車で来る。智君は友達とファミコンで遊んでいるらしい。静岡への旅行は楽しかったようだ。

 自動車のブレーキの故障が直ったという連絡があって日産プリンスに家族揃って取りに行った。アルミ缶ももってその後ひもんやのダイエーに行く。

 七階の旅行コーナーのパンフレットを見る。海外への団体旅行の旅程を見てもとても航平を連れて行くのは不可能だ。今年の夏は何処にも行っていない。行ったのは羽田空港と日比谷公園くらいだ。

 だから楽しくないという訳ではない。ただ涼しくなってこおろぎの鳴く声が聞こえてくるともう秋だなあという感じだ。






  羽田空港で 



1996年8月30日 金 晴  くすのき

 隣の家のくすのきが朝から夕方までかかって切り倒された。永いこと育って大きくなり隣のビルや家の屋根にかかって迷惑になっていた。

 夏のさなかには葉が風にたなびいてベッドの横の窓から見える景色をなごませていた。枝を落とし、上の方から一メートルずつ切って、さいご二メートル位が残されてビルの壁が白く見える。

 チェーンソーの音に航平はぴくぴく動いていた。そこの家のおばあちゃんの姿は見えないけれど、家族が望んで切ったのだろうか。

 南側の家は見渡す限りの大木に育ち茂っている。家々の樹木は地域にとって大きな財産になっている。





テーブルに家族三人




1996年8月31日 土 晴  ピザ

 航平が寝返りを打つようになって寝る場所を替えるために昨日掃除をした。だんだん収拾がつかなくなって二つの選択をする必要に迫られた。

 一つは物を家のなかからどこかに移動すること。もう一つは収納用具を家のなかに入れること。結局幾つかのものを捨てて家族三人で整理タンスを探索しに出かけた。

 池袋の東武デパートに行った。店舗が大きいので品揃えを期待したが、今の期間は整理タンスはないそうだ。西武デパートもなかった。整理タンスはないという情報が何故自分に今まで入ってこなかったのだろう。

 池袋は幼稚園の頃生活した。立教大学の木々の中とデパートの中が遊び場だった。西武デパートにはヘリコプターが発着していた。新しい建物は立ったが面影はそのまま残っている。

 父の仕事の都合で埼玉県に引っ越したとき東京に来るというのはまず池袋に来ることだった。高校は小石川にあってはじめて友人とピザを食べに来たのも池袋だった。
「ピザってどんなもの。」
と聞いたら
「はじめは美味しいけれどお腹が一杯になると食べられなくなるものだ。」
と言っていた。

 夜遅くまで遊んだり語ったのもここだった。自分にとって何か寄り添いたくなるような土地かもしれない。航平の四度目の外食は東武デパート杵屋のうどんだった。






書棚の前で


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