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96年7月

山口 正司             


1996年7月 1日 月 晴れ      帰国 1996年7月 2日 火 晴れ 暑い   写真 1996年7月 2日 火 晴れ 暑い   日記リンクス 1996年7月 3日 火 晴れ 暑い   続日記リンクス 1996年7月 3日 水 晴れ 暑い   綿棒 1996年7月 4日 木 晴れ      修理済み 1996年7月 5日 金 曇り後雨強い風 残念 1996年7月 6日 土 晴れ      カード 1996年7月 7日 日 晴れ後雨    七夕の願い 1996年7月 8日 月 曇り後雨    食パン 1996年7月 9日 火 雨 台風近い  防水 1996年7月10日 水 雨 台風上陸  スクラッチテスト 1996年7月11日 木 晴れ 暑い   台風一過 1996年7月12日 金 晴れ      カビアレルギー 1996年7月13日 土 晴れ      お盆の入り 1996年7月14日 日 晴れ      下北沢 1996年7月15日 月 晴れ一時雨   ニックネーム 1996年7月16日 火 晴れ 暑い   送り火 1996年7月17日 水 晴れ 暑い   冷房 1996年7月18日 木 晴れ 暑い   電気メーター 1996年7月19日 金 晴れ 暑い   50円切手 1996年7月20日 土 曇り夜に雨   純子から電話 1996年7月21日 日 曇り後晴れ   便秘 1996年7月22日 月 晴れ      食中毒 1996年7月23日 火 曇り時々雨   8日ぶり 1996年7月24日 水 晴れ      子供の名前 1996年7月25日 木 晴れ      物量戦争 1996年7月26日 金 晴れ      外食 1996年7月27日 土 晴れ      印刷 1996年7月28日 日 晴れ      経過順調 1996年7月29日 月 晴れ      世間 1996年7月30日 火 晴れ      バッテリー 1996年7月31日 水 晴れ      スキャナーを購入

1996年7月 1日 月 晴れ 帰国

 金川君がタイから無事に帰ってきた。3年7カ月の滞在 だったそうだが動乱のさなかに渡り淡々と適応して仕事 をこなしてくる間にはきっと苦労もあったことと思う。 お帰りなさい。元気で何よりでした。

 妹宅ではおとといの土曜日に富士通のパソコンを買っ たらしい。さっそくインターネットに接続してメールを 送ってきた。CEとか言っていたが表を見ると一番安い。 cheap economyの略だろうか。

 しかし私がマックは良いよと言ってもウィンに傾注し ていく。親が反対すればするほど恋人の元に走っていく 娘が恋するように夫にとっては魅力的らしい。会社と同 じものにしたいのかなとも察する。

 お兄さんも95を知らずにos論を語るなと言われるとや はりそのウィンなんとかを買いたい気持ちにもなる。



1996年7月 2日 火 晴れ 暑い 写真

 コンパクトカメラで撮った写真の現像が出来上がった。 近所の八百屋のおじさんの所にチャコちゃんが航平をだっ こして取りに行った。

 出来上がりを見ると、毎回ほとんど同じような航平の 顔ばかりを撮っている。しかしそのわずかな違いに、笑っ たり今度もここで撮るのがいいと言ったりしながら楽し ませてくれる。

 やはり笑顔をとらえた写真はしばらくながめていても 再び手に取りたくなる。友達が写ったものは実物よりよ く撮れている時はいいのだが少し失敗だなと思うときに は本人に見せた方がいいのかどうか悩んでしまう。

 今よく撮れてはいないと思った写真も何年かしてから 見つけた時にいい写真だなと思うときもあって全部をとっ ておいてある。どこの家庭でもきっと沢山の写真がある のだろう。



1996年7月2日 火 晴れ 暑い  この文章は1997年7月17日 まで掲載を控えさせて戴きました

日記リンクスでばうわうさんが削除されたことについての感想

津田さんへの手紙

 このところ暑い日が続きますね。何時も津田さんの日記リンクスを 楽しく利用させていただいています。有り難うございます。

 先ほど津田さんの今回のホームページ上の困った出来事についての 見解を拝見しました。何時もたんたんと私たちの為に日記リンクス をお作りになっているかたわらでお悩みだったようですね。

 今回の件で津田さんが早く心の憔悴を回復されますようにお祈りし ます。

 そこで様子をそばで拝見してきた私の感想を述べさせて下さい。

 ばうわうさんのホームページはランキングの一位に何時も名前が ありましたのでよく拝見していました。そのウィットはセンスが 良く、深く考えられていて奥行があり、情緒があるなと感服して いました。

 ずっと拝見していてあびこさんに心の傷を与えてしまったことが 今回の不幸な出来事でした。

 あびこさんは、ふっとばうわうさんのホームページを拝見されて、 その瞬間に大きな傷をおってしまったことと思います。これは実 にあびこさんの気持ちを拝察するに付け、もしも自分があびこさんの 立場だったらやはり同じ気持ちになったことと思います。

 しかしかたわらで拝見する私たちにとってばうわうさんの表現は 前後を良く読むと愛情が深くて、あびこさんへの尊敬と畏敬の念が 込められていることに私は感銘していました。

 ですから時がたち少しゆっくりと眺めてみたときにきっと、 あびこさんも 「おっこいつなかなかおもしろいやつだな。」と思い返す時が来 るだろうかと拝察していました。そう思わせる力をばうわうさんは 持っていると私は感じていました。

 しかしさらに不幸だったのはあびこさんが不快感を表明する文章 があまりに上手で私達に相当のインパクトを与えたことでした。

 それに対して津田さんが敬愛なさる方をお守りしたいとなさった 処置も愛情の深いものでした。

 パスワードの盗用や不正な投票はばうわうさん自身が何度も公表 していることから私には素晴らしいランキングプログラムの作成 を完成するための援助に見えていました。

 津田さんのこのランキングプログラムは私にとってはネットスケー プナビゲーション社と同じくらいに、世界に誇れる日本のソフト ウェアとして育つ可能性を感じていましたし今も感じています。

 私たちはよく戦争などの不幸な出来事に遭遇するのですがそれ は正義と正義がぶつかりあったり愛情と愛情がぶつかりあって引 き起こされるように感じています。今回の出来事も悲しい誤解が 起きるさまを目の前で直視してしまったようでした。

 皆さんに表現は違ってもそれぞれに愛情があって、形が違うが 故にその愛情を誤解してしまった悲しい出来事でした。

 津田さんお願いですからばうわうさんを今までどおり私たちの近く において下さい。

 そしてさらにランキングプログラムを良いものに発展させる実 験場としてアクセスランキングを復活させて下さい。

   偏差値教育や不可解な過当競争は望みませんが、技術の進歩に 平和はかかすことが出来ないと感じています。

 津田さんに尊敬の念を込めて



1996年7月3日 水 晴れ  この文章は1997年7月17日まで掲載を控 えさせて戴きました

続 日記リンクスで深瀬さんが削除されたことと日記ランキングが なくなつてしまったことについての感想

   苦しくて苦しくてたまらない。あびこさんが言っていたのと 同じだ。明け方から目が醒めてしまうし心臓がどぎどきして苦 しい。ネットの生活も10年以上にもなるがこんなに苦しい気持 ちになったのは初めてだ。

 そもそも深瀬(ばうわう)さんを見たのは今年の二月くらいか らだろうか。昨年から日記リンクス自体は立ち寄った事はあっ たがアクセスが重かったことと他人の日記を読んでもほとんど 興味がわかなかったのでそれっきりになっていた。

 それからしばらくしてネット上で知り合う人のページの中に 日記リンクスの押しボタンをよく見るようになった。最初は、 なんだ日記にランキングをつけるなんて偏差値教育の延長線で なんでも順番をつけ序列を付けて、全くくだらないことだと 思ってやはりそれっきりになっていた。

 そして自分でホームページを持ち子供を授かって喜びの中で 自分のことを喜々として語り始める頃に再び立ち寄ってみた。 そこには深瀬さんがトップにいたのでどんなページか見てみた。 その時最初の印象は全く下らないと思った。まるで週刊誌の 三行コラムのようだと思った。

 やはりしばらく日記リンクスに立ち寄らなかった。また一層 日記リンクスの投票ボタンが増えていくように思った。久しぶ りに日記リンクスを見るとそこにはやはり深瀬さんがトップに いた。

 下らないとやはり思ったがしかし時には、うっと思わず笑って しまうときもあった。それから時々深瀬さんのページだけにブッ クマークを張って見ていた。時には見ない日もあり見る日もあっ た。しばらく見るうちに最初はこの人、厭な人だと思ったのが知 らず知らずのうちに見ないではいられない存在になってきていた。

 そしてあらためて日記リンクスを見た。のほほんさんや他、実 に楽しく自由に意見を交わしていてこの集いはすばらしい集い だなと感動した。

 その頃は夕食時になると妻のチャコちゃんに今日の深瀬さんの 話しをよく話した。チャコちゃんは最初 「何その人って嫌いだわ。」と言っていた。ある時にチャコちゃ んに画面上の深瀬さんのページを見せた。たどたどしく読んでい く内にチャコちゃんは 「ああこの人はいい人ね。ああ面白いわ。」と言った。

 それからある時義弟に電子メールで深瀬さんが面白いから是非 とも見てくれと送った。義弟は見たが学生の落書きと同じで全く つまらないものだ。という返事だった。ああそうだろうなとその 時は思った。なぜなら自分もそうだったから。

 その頃は日記リンクスは実に楽しい雰囲気だった。そんな中に 是非とも入ってみたいと思った。自分の気持ちがこんなにも変化 したことが信じられない程だった。深瀬さんのお陰だと思った。

 そんな時あの悲しい事件が起こった。あびこさんの文章だった。 あれは実にインパクトがあったが正直な気持ち全くの勘違いだから インテリジェントなあびこさんは深瀬さんのウィットを許容する力 はあるに違いない。と思った。

 大体においてあびこさんがそんなにも素晴らしい業績と多くの 熱心なファンに支えられている人であって魅力的な人物、能力の ある人物であるのだと教えてくれたのは深瀬さんだったから私は 深瀬さんから毎日のようにあびこさんの素晴らしさを聞かされて 来たと思っていたから、必ず攻撃を受けているなんてことが勘違 いだということを気がつくに違いないと思っていた。

 しかし、その前にその強烈な文章、さすがに深瀬さんが望んで いた素晴らしい文章が勘違いのまま出てきた。私はそこで何度も 深瀬さんの言うあびこさんの力というのを初めて見た。この先は 一体どうなるのだろうと思った。二人はインテリジェントだから きっと素晴らしい文章の知的なやりとりがあるのだろうと思った。

 すると突然日記ランキングが無くなった。理由が解らなかった。 あきたからやめます。と書いてあった。えっと思いチャコちゃん に話すと 「ええー、だからコンピューターやってる人の考え方った厭なの よ。切るときには、すぱーって切っちゃうんだから。」 と言っていたけれどその時には実に事情が解らなかった。深瀬さ んのページを見ると大体は推察出来たけれどもやはり津田さんの 言葉を知りたかった。

 津田さんのホームページを見て予想されていた内容があった。 津田さんは深瀬さんにやはり傷をおっていたのだった。しかし、 深瀬さんの文章を読んで私はどんどんと津田さんのプログラミン グの素晴らしさと今までの進歩の後を知り解ってきたから津田 さんが深瀬さんからショックを受けるなんて考えられなかった。

 あびこさんは人のうちのおもちゃで遊んで、帰ってと言われ ても深瀬さんは帰らなかったと言うけれども私から見る様子は 全然違った。

 広場でみんなで遊ぼうよと声をかけたら600人も集まった。 集まっているところが楽しそうだなと思って準備をしてバッジ も作って入ったらみんなの楽しむ遊びは中止だよ。だって深瀬 さんが厭なんだもん。なんで厭か聞いてみると知り合おうとも しないで嫌がっているように見える。でもこれは僕がいないと 出来ない遊びだから絶対僕に従って。

 たしかなのは絶対僕がいないと出来ない遊びというところ。 しかし思うとこんな目に会って黙って去ったことなんて、今ま であっただろうか。

 何度も何度も思い返すうちに心臓までどぎどきとしてくるの だけれどもどう考えてもこんなに不愉快な事、信じたものを失っ たと言う出来事は自分の人生の中でも考えられないし、整理が 出来ない。

 確かにあびこさんが言うようにネット上には実に不愉快な出 来事があった。でもそのたび何かの規則やルールで自分の中で 解消できた。

 しかし深瀬さんはやはりあくまで罪を犯してはいないと思う。 罪を犯すも犯さぬも気に入らないものは去れと言うけれども自分 の心の中に残った裏切られた気持ちを解消する手段は逃げること しかないのだろうか。

 あの人の話す言葉が不愉快だから気に入らない。なんて言う勘 違いで起きた悲劇だろう。その悲劇を間のあたりにして実にショッ クだった。

 ほとんどあびこさんと主張は同じだ。ただ私は深瀬さんは正し かったと思う。

 深瀬さんは正しかったという信頼感は揺らいでいないことを書 きたかった。



1996年7月 3日 水 晴れ 暑い  綿棒

 航平の三四カ月検診の日だった。航平は二日前からう んちが出ないので検診に行っている最中にうんちが出て しまったら困るなと思って綿棒でお尻の穴を刺激してみ た。

 朝方の時はそれでも出なかったがさあ行くぞという直 前にチャコちゃんが 「穴の中に綿棒を入れるのよ。」と言うので 気を付けて入れると少しのうんちの後流れるように沢山 のうんちが出てきた。こんなうんちはくさくも汚くもな くて二人でやったあと大喜びした。

 検診の結果は良好で首はもうちょっとで座るらしい。



1996年7月 4日 木 晴れ  修理済み

 先週の土曜日自動車修理工場から電話があって 「それじゃ車持ってきてくれる。今直ぐだよ。いいか い。」 と言われて持っていった車が、 「出来上がったから今直ぐ取りに来てくれる。」と言わ れて取りに行った。

 代金は最初は三万円と言われ、見積もりで五万円になっ て今日出来上がったときは、随分大変だったからと七万円 になった。支払うときに 「それで消費税で72100円でいいや。」と言われて支払っ た。

 何時もだったらそんなやり方気にくわないと思うのだが 何処に行ったって三十万円くれなきゃ出来ないよって言わ れ続けてるのだからもうオンの字なのだ。修理工のおじさ んにはついに嘘をつきとおしてしまったので心苦しい。

 失われると思った車が戻るのが嬉しくて嬉しくてたまら ないのだが、あんまり人に言えばずうずうしいと思われる ばかりだし、もし万が一にも同じような事が将来あれば私 を悪人だと言う人が出たっておかしくない。

 だから神妙にするのだけれども工場では 「この車はいい車だよ。それに随分丁寧に使ってるからま だまだ乗れるね。この車種はたくさん出たからいまだって 中古の部品がいくらでもあるからドアの取り替えなんかで も安く修理出来るんだよ。エンジンは快調だし丁寧に乗っ てる。」と至る所から誉められてなんだかとても嬉しくなっ た。

 車の修理はたたき出すという方法だが、最近は板金工が 少ないので切り落として新しい部品を付け替えるやり方に なっているらしい。修理工が言うにはこの車は古いからそ んなにお金をかけても仕方がないから板金やに無理言って たたき出してもらったんだよ。というのが三十万円と七万 円の差になったらしい。しかし仕上がりは極上だ。

 チャコちゃんと航平の子連れで立ち寄ったからお金がな さそうで可哀想に思ってくれたのかもしれない。18年物の スカイラインの傷跡はすっかりと美しく綺麗になってスク ラップ行きから救われてまた戻ってきた。



1996年7月 5日 金 曇り後雨強い風  残念

 保健所に検診に行った。車で送り帰りに迎えに行っ た。検診中にチャコちゃんは母親学級で一緒だった友 人と久しぶりに出会って無事に生まれてきた子供をお 互いに確認してあらためて今再会出来たことを喜んで いた。迎えに行った時に一緒に彼女を乗せて帰ってき た。

 航平のツベルクリン反応は陰性でBCGを接種してチャ コちゃんはX線撮影をした。結果は異常が無いときには 何も来ないらしい。

 午後から一時嵐のようなどしゃぶりになって千葉の 方では竜巻が発生したらしい。七時から伊達とグラフ のテニスの試合をテレビで見たが伊達が負けて残念だっ た。チャコちゃんは 「そんな事で残念がってないでもっとうちの中の事に 目を向けて頂戴。」と航平を寝かしつけながら言った。



1996年7月 6日 土 晴れ   カード

 家族三人で玉川高島屋に行く。高島屋は不祥事があっ たので贈答には不向きに思うが近所には他に便利で適当 な百貨店が無く、仕方なく出向いた。

 バギーを入れたり出したり、遠い駐車場から歩いてやっ との思いで到着して用事を済まそうとするとチャコちゃ んが同封するカードを忘れていた。昨日遅くまでかかっ てユニセフのカードにシールを張りながら苦心して作っ たものをうちに置いてきた。

 それでは次の予定の赤ちゃん本舗に出かけようという と今度は僕が会員証を忘れてる。仕方なく今川焼きを二 つ買って二人で食べながら家に戻ってきた。

 帰って航平におっぱいをやりながら、 「高島屋の用事を済ませれば気持ちがいいよ。」と言っ て、皆でもう一度出かけて帰ってきたら七時を過ぎてい た。やることをしてせいせいとした。



1996年7月 7日 日 晴れ後雨   七夕の願い

 アカチャンホンポに家族揃って航平の買い物に出かけ た。五反田TOCは徳の市とかで周辺一体が大変な混雑だっ た。中に入るとテナントのほとんどの店舗でバーゲンセー ルをしていた。元が問屋で安い上のバーゲンだから相当 に魅力的なのかここに通って以来最も人が多い日に当たっ た。

 その後クレヨンハウスに出かけた。チャコちゃんにとっ て必ず定期的に訪れなければならない店だが妊娠中から 入院していたのでほぼ半年来ていない。表参道に着くと 久しぶりの良い空気を吸っているようだった。

 書評で読んだくどうなおこの詩集と、とらや帽子店の子 供の歌のCDを手に入れた。入り口の笹に七夕の願いを書 いて下げてきた。

 ところでうちでは笹がないのでベンジャミンの葉に折り 紙で願い事を書いた。面白半分に余り考えもせずにチャコ ちゃんが書いたものだ。

 航平にたくさん友達が出来ますように
 航平が元気に育ちますように
 自動車が直ってドライブに行けますように
 来年はスカイラインの新車が買えますように
 ウインドウズ95が買えますように
 家族が揃って元気で過ごせますように




1996年7月 8日 月 曇り後雨    食パン

 台風が近ずいていて夕方から雨が強くなっている。

 この所ストレスがあって胃がちぢむような思いをする。 前は市販の胃薬を買ったこともあったが今は漢方医で処 方された漢方薬をそんな時には飲んでいる。その薬を処 方して貰うために渋谷に行った。いつも通りに処方を貰っ たがそもそもストレスをなくす努力をするように薦めら れた。

 薬を貰ってコンピューターショップを少し眺めた。何 年も前から渋谷に来たときに荷物と時間にゆとりがある ときは必ず購入する食パンを買った。  

 新玉川線入り口の東急地下名店街の中のペルティエ というパン屋のパリジャンという食パンだ。フランスパ ンと同じ材料と製法で作られた食パンでさくっとした触 感がフランスパンと同じで美味しい。相当に昔からあっ てここでしか売っていなかった。美味しいが昔から今で もあまり売れている風ではない。

 ところが最近フォーションでフランスパン風の食パン を行列して買っている光景を見た。それからスーパーで も同じようなパンを神戸屋のものだが売っていた。私の 知る限り細々と商っているこの小さい店よりも前に売ら れていたのは見たことはない。



1996年7月 9日 火 雨 台風近い  防水

 雨が一日中降っている。この前に防水処理を施した部 分にやっと効果が現れて雨漏りが今の所止まっている。 雨漏りを止める為の修理は業者を入れたり、自分でも行っ たが完全に止まったとすれば実にそれは五年ぶり位のこ とになる。事実なら嬉しいが、逆に雨漏りは住んでいる 人の心をいかに暗くするかも分かる。江戸時代からの諺 の中にも雨漏りは必ずすぐに直すことといったものがあっ た。

 チャコちゃんの歯医者通いも順調に進んでほとんど腫 れが退いた。今週の日曜日に最終の手術で歯の切断を行 うようだ。皮膚科で治ったと診断されたじんましんが再 び発症している。

 航平は実に順調で健康だ。睡眠は夜八時から長いとき は朝六時位まで寝ることもあって夜の授乳の回数が少な くて済むようになっている。

 航平の内祝いを送ってあちらこちらから電話がかかっ て来ている。実際に声を聞いて会話をやり取りすると、 あらためて子供を得た喜びを得る。

 住専に勤務していた友人から損保会社の法務部への転 職通知が昨日届いた。同じ会社の友人を知らせよう。以 外な時に新たな出会いがある。住専の勤務ご苦労でした。 円満退職とあるが退職金でたのかな。



1996年7月10日 水 雨 台風6号房総半島上陸の見込み スクラッチテスト

 一日中雨。航平は外に出ていないので機嫌が悪い。チャ コちゃんはじんましんで皮膚科に行くが診察の結果、カ ビアレルギーの疑いがあるそうだ。以前にアレルギーの 検査をした結果ではアレルギーの疑いはないという診断 だった。

 今日スクラッチテストをした痕が赤く腫れたのがその 診断の根拠らしい。48時間後に再び診察してさらに赤く なっているかを見るそうだが夜になるとすっかり腫れは ひいている。やはりアレルギーではないように感じる。



1996年7月11日 木 晴れ 暑い   台風一過

 台風が去って何日かぶりでいい天気になった。この所 航平は外出出来ないので機嫌がすぐれなかったからこの 天気は気持ちがいい。ジュースを入れた両手付きのマグ マグを持たせて見ると自分で持って飲めるようになった。 ただ、口の回りはべたべたで首のそばのシーツも随分と ジュースで濡れた。進歩のあとをビデオに撮った。

 夕方車にワックスをかけた。白い色がよみがえって綺 麗になったところに近所の人がとおりかかって 「いつも几帳面にあつかっていらっしゃる。」と誉めら れた。その人の旦那さんは昔米軍に行き来があったので 「車は綺麗にしないで乗る物だ。」とよく言っていた。

 僕も心の中では実にそうしたいと思っていた。しかし いかんせん回りの車が綺麗で古くなった自分の車に気持 ちよく乗るために、どうしても綺麗にしておきたい。

 チャコちゃんに見せて航平と車の写真を撮ってドライ ブに行くことにした。日産プリンスに寄って半ドアにな る不良の部品を注文して、やっぱりダイエーに行った。 アルミ缶を置いてパソコンを見て、食料品を買って帰っ た時刻は八時になった。何時もの航平の寝る時間を一時 間オーバーしていた。



1996年7月12日 金 晴れ  カビアレルギー

 チャコちゃんは皮膚科に行った。カビに遅延性のアレ ルギーがあるという診断結果だった。特に風呂場によく いるカビで風とおしを良くして掃除をするように指示さ れた。梅雨を越せば改善する見込みがあるらしい。チャ コちゃんにとってアレルギーと診断されるのは初めてだ。

 夜NHK番組でウィルスと人類との戦いを描いた特別番 組を見た。エボラウィルスの大発生とエイズの感染とを ドキュメンタリーで映した。チャコちゃんは小さい頃、 死が恐くてたまらなかった。僕はこの番組が恐かった。 航平が産まれてから生に対して執着がある。航平が育つ までは生きたい。



1996年7月13日 土 晴れ   お盆の入り

 お盆の入りで妹家族が訪れた。うちの先祖と言えば父 と母だ。父は17年前に母は20年前にそれぞれ病気で他界 している。その時はそれぞれ悲しかったし今もそれはそれ で悲しいとも思う。ただ悲しいとばかりも言ってはいられ ないので毎日を平穏に無事に暮らすようにしている。

 早く先祖が先祖としてゆっくりとあの世に安らかにいて くれるようになればと思うがなかなかに現世に未練がある ようにも思う。お盆だから今はこちらに来ているのだろう か。ゆっくりとしていって下さい。



1996年7月14日 日 晴れ  下北沢

 夕方下北沢に出かけた。毎日使っている皿が欠けたの で、買った店は吉祥寺だったが、同じ店が下北沢にあっ て同じ商品が置いてあったのを前に見つけていたので、 もし有れば買いに行こうと言って家族三人で出た。

 しかしそれはあくまで出かける理由で本当の気持ちは ただ外に出ることそれ自体が目的だ。大人になると何か 理由がないと出にくい。

 日曜日に朝からずっとうちの中に航平とチャコちゃん と三人でいると夕方くらいにはみんな機嫌が悪くなって しまう。

 チャコちゃんは自由が丘が好きだが、下北沢は僕が好 きな街だ。いろんな店が有象無象に有っていろんな人が いる。劇場がいくつかあって演劇のポスターが張ってあっ て、劇団員風に見える若者のファッションも面白い。チャ コちゃんも僕も演劇が好きだったからこの街で随分と劇 やミュージカルを見た。

 店に並ぶ商品は値段が安くて買いやすい。もしも僕が 東京にアパートを借りて一人で住むならここに住んでみ たい。車椅子に乗る人とお年寄りと航平のような赤ちゃ んと若者が一緒に楽しく居られる街のように見える。自 由でいろんな人が集まる様子が好きだ。

 結局同じ皿はなくて肉屋でコロッケだけ買って帰った。 仕事は済まなかったがシモキタの空気の価値はあった。



1996年7月15日 月 晴れ一時雨  ニックネーム

 梅雨明け宣言が一部出たが夕方雨がひとしきりあって 暑いアスファルトを冷やした。

 航平は最初こうへいか、こうへいちゃん、こうへいくん と呼ばれていた。最近はその時々のシチュエーションで 幾つかのニックネームが出来ている。機嫌が良いときは コッペちゃん、ちょっと困ったときやかわいらしい時に はコッペと呼び捨てになる。扱いにくいときはペコヘイ と言われてしまう。

 他にはこうちゃんとか、こうくんと言われる時もある。 将来こうへいさんと呼ばれるのは一体いつ頃でどんな風 だろう。



1996年7月16日 火 晴れ 暑い  送り火

 盆の送り火を焚いた。航平とチャコちゃんの見ている 前でベランダに鉢の受け皿を置いてその中に磁器皿を、 のせて、まこもをねじって割って交互に置いた。

 マッチで火をつけると勢い良くまこもは燃え出して横 に置いたわらの馬にけむりがたなびいた。まこもがすっ かり燃え尽きて黒い灰だけになってその灰を横のプラン ターの中の土に混ぜた。まだ火が少し残っていたがその ままかき混ぜるとすっかりと消えて送り火が終わった。 灰を土の中に混ぜている時に自分もいつか将来はこんな 風に土になるのかなあと少しだけよぎった。



1996年7月17日 水 晴れ 暑い   冷房

 真夏を思わせる熱射で照りつける暑さ。

 航平は暑い毎日を送っているが特別に辛そうな様子は ない。ただあせもがぷつぷつとあちらこちらに出来てい る。寝ている時の背中と頭の後ろの汗はびっしょりと濡 れている。

 冷房をかけるが階下からの熱が上に上がってくるので 下の階も冷房をかけないと十分には温度が下がらない。 風通しが良いこともあって今日のような暑い日も昼間を 冷房をかけずに過ごしてしまった。

 五月頃から冷房の世話になってこの暑い盛りに冷房を 使わないのは理に合わない。結局電気代が高くてかけら れないかあるいは住宅の断熱設計効率が劣っているのか あるいは冷房時の換気効果が悪いかの何れかだ。

 衣食住は生活の基本だが、住環境がもっと良ければ相 当気分が晴れるだろうと思うことがよくある。パソコン 購入が思うにまかせない真の原因は住環境にあるかもし れない。

 夜9時半からのNHK放送クローズアップ現代でウガン ダの内戦後の難民キャンプでのオリンピック選手の軌跡 を追っていた。私達は自分の生活の向上を求めようとす るときに、富の不平等を解消することに努力を惜しむこ とはできない。



1996年7月18日 木 晴れ 暑い  電気メーター

 照りつける太陽の中今日は昼から冷房を入れた。直前 の温度は35度だった。部屋ごとの温度差を解消して快適 な状態にするためにエアコン4台を稼働した。

 玄関口にある電気メーターを見ると狂ったように回転 していた。この状態での電気使用量はおおよそ5KW/時間 になる。月額の電気料金が90000円になってしまうペー スだ。

 従って日本に住む限りうちの家庭で安定して冷房をか けるのは贅沢だ。一箇所の部屋にこもって出入りの温度 差を甘受するか、冷房をかけないか、あえて不十分にか けるかを選択する必要がある。実際はよっぽどがまん出 来なくなって世話になるか、生暖かいような室内になっ ている。

 そんな中で割安な電気料金に支えられた近隣の事業体 の冷えすぎる程の冷気で外に排出される暖気は全く許せ ない。法人企業体組織が豊かに見えて、私や家族の生活 が貧しくて苦しいと感じる暑さだ。

 夜になって涼しくなると不満は次第になくなってきた。



1996年7月19日 金 晴れ 暑い  50円切手

 チャコちゃんが海の記念日の記念切手を買ってきた。 航平という名前が海となじみがあって今年から海の記念 日が始まった。そして50円切手のデザインが折り紙の船 で子供らしいからこの記念日全部が航平のためにあるよ うに感じて自転車で買ってきた切手を嬉しそうに差し出 した。

 50円切手はさすがにチャコちゃんの好きそうな子供風 の絵柄で暑中見舞いに張るのに涼しそうだ。

 切手一枚でチャコちゃんはあっちこっちと気持ちをや りとりするのが好きで毎日11時頃郵便配達のバイクの音 がすると耳を澄ませて玄関のポストの音を聞く。



1996年7月20日 土 曇り夜になって雨  純子から電話

 午後二時頃お義父さんが訪問する。見るたびに航平が 大きくなって健康なのがお義父さんにとっても楽しみら しい。

 夜、チャコちゃんにとって大切な親友である岩見沢の 純子から電話があった。乳癌で来週の26日に手術をする らしい。

 純子は電話口の向こうで
「航平君を撮ったフィルムを現像してみたらとっても良 く撮れているから送ってあげたいけれど、手術が終わっ てからで遅くなっちゃうけどごめんね。リハビリして来 年の春になったらまた航平君を見にうかがうわ。」
と明るい声で語った。

 チャコちゃんも航平も僕も元気になった純子と必ず再 会したい。



1996年7月21日 日 曇り後晴れ  便秘

 航平のうんちが6日間出ていない。綿棒でおしりの穴 を刺激したりオレンジジュースや桃の果汁を飲ませたり するが一向に出ない。今まではほとんど毎日二回から三 回くらいも出ていたし、これほどの便秘になったことは ない。

 おなかを押してみても特に硬くなっている様子もない し機嫌はすこぶる良い。それでも少し心配だったので日 曜だが朝方電話相談で尋ねてみた。

 回答はこんな風だった。
「生後三、四カ月位になると消化機能が高くなる。母乳 の場合ほとんどを消化してしまって排出物の量が少なく なる。10日以上便が出ない例もある。果汁や水分を与え る他、薬局で麦芽糖を入手して飲ませたり、お腹を時計 回りにさすってやったりすると良い。機嫌を見ながら余 り心配ならば医師のところで浣腸をしてもらう。現在の 状態は特別に異常ではない。」

 家に勝手を知ったおじいちゃん、おばあちゃんが居れ ば笑ってそんなの大丈夫だよと言われて済むのかもしれ ない。核家族と近所につきあいが少ないので、ささいな ことでも心配になる。



1996年7月22日 月 晴れ  食中毒

 集団食中毒があちこちで起きている。今度チャコちゃ んは保健所の母親学級の友人7人と会うのだが、待ち合 わせ場所がコンビニエンスストアだそうだ。そこでみん なでお弁当を買って食べることになったらどうしようか なと今から心配している。

 確かに報道されているとおり食中毒は恐ろしいし気を 付けなければならない。しかし、東京の人口1000万人 が毎日何らかの食事をしている。確率から考えて今まで どおり普通に気を付けていてこの食中毒に罹患する可能 性はかなり少ない。今の状態は報道機関から必要以上の 不安感を与えられている。



1996年7月23日 火 曇り時々雨  8日ぶり

 航平のうんちが8日ぶりに出たのが嬉しかった。なか なか出ないので5パーセントの糖水を飲ませて綿棒をお 尻の穴に2センチほど入れてくるくると回して刺激した。 今までは5ミリ位しか入れなかったが育児書を見ると3 センチ位入れるとあるので少し奥までしばらく入れてみ た。

 3分程してにゅるにゅるとねばねばしたうんちがたく さん出てきた時にはチャコちゃんも僕も大声を出して喜 んだ。

 航平はと言えばそれまでも元気だったが、夕方二度目 のうんちをして心なしかいつもより元気でないようにも 見える。夜は定時にぐっすりと寝てしまった。寝てしまっ た後も思い返しては良かったと言っている。



1996年7月24日 水 晴れ  子供の名前

 チャコちゃんは出産前の4回の母親学級で一緒のグルー プだった6人の友人との集いに航平をだっこひもでだっこ して出かけた。

 駒沢から祖師谷大蔵駅行きのバスに乗って駅前のコンビ ニエンスストアで11時半に待ち合わせて午後のひとときを 友人宅でそれぞれの赤ちゃんと一緒に過ごしてきた。チャ コちゃんにとっては世田谷に引っ越して、近所に出来た初 めての友人達だ。

 案ずるより産むが易しのことわざどおり、皆健康で無事 に出産してすくすくと育っている。子供の名前は拓斗ちゃ ん、龍馬ちゃん、桜子ちゃん、萌以(めい)ちゃん、翔平ちゃ ん、綾菜ちゃんだ。名付けは字画を気にする人が多かった らしい。

 この子たちの名前は今の世代を表す名前として流行の中 にはぐくまれたものなのだろうか。それぞれの子供の名前 と両親の雰囲気とが合いまって、幸せな他の家族の様子を 聞いてきて、チャコちゃんは帰ってからもひとしきり楽し そうだった。



1996年7月25日 木 晴れ  物量の戦争

 チャコちゃんの妹の浩子さんと駿ちゃん、みーちゃん が来る。浩子さんは駿ちゃん達が使った子供用のカーシー トを持ってきてくれた。

 航平が産まれてたくさんの人からそれぞれに心のこもっ たプレゼントを頂いたが浩子さんが駿ちゃんとミーちゃ んの使った物を大量に綺麗に取ってあって、譲ってくれ たのが本当に助かった。

 毎日毎日着ている洋服の多くも毎日毎日使うベッドや おもちゃも含めて子育ては物量の戦争だ。大量だから有 り難いと思う瞬間が数知れない。

 航平の多くの洋服は駿ちゃんの着ていた物だから撮れ た写真は駿ちゃんと似ている。初めての子供だから新品 の物にしたいという思いが自分になかったのも有り難かっ たのかもしれない。

 午後にはお義父さんが立ち寄ってみんなは一緒に車で 帰宅した。



1996年7月26日 金 晴れ  外食

 今週も今日で終わりだ。残っている仕事を済ませて週 末を楽しみたい。航平が産まれてからの毎日で何が一番 変わったかと言うと家族で外食をしていないことだ。

 今まではチャコちゃんと夕方買い物に行った帰りに二 人でとんかつ屋に行ったり寿司屋に行ったりするのが大 きな楽しみだった。豪華なディナーではなくて実に質素 な外食だったけれど生活のアクセントだった。

 ところが出産後4カ月になる間、家族揃っての外食は 出来ない。しようと思えば出来るかもしれないが楽しめ る自信がない。若い頃おしゃれなレストランになかなか 入れなかったようなものだ。いろいろ考えると家で食べ た方がいいと思ってしまう。

 くたびれた夕方に外食しようかと言いかけて、そうか 航平がいるんだ、と思うと、自分は何でも何時でも自由 に出来る自分から、一つの障碍を得た自分になっている ことに気づく。航平から得る楽しい出来事や、新鮮な価 値観を与えてくれた代償かもしれない。



1996年7月27日 土 晴れ  印刷

 この日記を印刷して郡山に転勤で引っ越したゾエに送っ た。先日、送るよと電話で言っておきながらしばらくたっ ている。その時は直ぐにも送ろうと思ったがしばらくた めておいた方が沢山送れることと、ちょうど暑中見舞い にもなるかなと思案しているうちに三週間程もたってし まった。

 印刷すると結構な読みでになるが前回送った時は読ん で楽しかったそうだ。会話より様子が良く分かるらしい。

 ところで印刷しながら自分の日記を読んでみたのだが 自分自身のことというのはその時点では自分でもよく分 かってないのかもしれない。自分が何を考えているのか、 自分が何をしたいのかを見失ってしまう。

 自分のしていることが良いことなのか、もっと価値の ある方向があるのかということをその時々で考えている ようだ。後から読み返してみると結構良くやってきたん だと思ってしまった。



1996年7月28日 日 晴れ  経過順調

 チャコちゃんの友人の純子から午前中に電話があった。 純子の乳ガンの手術は26日に無事済んで経過は順調らし い。

 公衆電話口から本人の明るい声を聞くことが出来た。 まだ手術の翌々日だがもう歩けるらしい。

 「航平君が撮れている写真手術前に送ったよ。岩見沢 で一番素敵な花屋さんから大きな花束が届いて家にも半 分もって帰った程、誰からかなと思ったけれど、送って くれるのチャコぐらいしかいないものね。」  花束の美しさのように声が輝いていた。



1996年7月29日 月 晴れ   世間

 航平が産まれてから思うのだが、それまでと比べて世 間から愛されているように感じる。航平のお陰で近所の 人と随分親しくなったし、街を歩いていても見ず知らず の人から声を掛けられたり、すれちがう人が笑顔を見せ ていく。

 今までは都会だから街の人は冷たくて誰も自分に視線 を向ける人はいなかった。毎日のように航平に向けられ た笑顔を見ると世間も人もまんざら冷たくないなと思う。



1996年7月30日 火 晴れ  バッテリー

 8ミリカメラのバッテリーが直ぐに使えなくなって問 い合わせたところ修理されて戻ってきた。バッテリーの 修理なんてどうするのだろう。メモリー効果をなくして おきましたと言っていた。

 車の後ろに付ける子供が乗ってますの飾りを作る為に チャコちゃんが手芸屋で吸盤を買ってきた。80才位の おばあちゃんがあちこち探して棚の奥の方からやっと探 し出して黄色くなっていた。使うに十分で満足している。 値段が安かったのも満足の理由だ。20円。

 チャコちゃんの奥歯は二つに切断されて仮止めで冠を かぶせた。二つに切ったので代金は二本分の治療代だそ うだ。二本分でも三本分でも満足のいく状態が進行して いて気にならない。一時間以上かかって丁寧な治療をし てきた。

 コピー機の修理にサービスマンが来た。不具合の部品 をトナーごと取り替えていった。その結果トナーがプレ ゼントになった。帰り際にコカコーラをあげる。

 直ったのでノンタンの笑顔をコピーしてチャコちゃん が色を塗って立てかける。航平はノンタンが好きだが最 近になって声をだして笑うようになった。



1996年7月31日 水 晴れ  スキャナーを購入

 昨日直って戻ってきた8ミリカメラのバッテリーを取 り付けてみるとやはり使用できない。朝方電話すると、 新しいものと交換すると言う返事だった。本当に修理し たのかな。

 秋葉原に出かけた折りに、スキャナーを購入した。日 本ヒューレットパッカート社の600DPIのもの。ヒュー レットパッカートはサポートが良い。

 エプソンの400DPIのものを持っている(2年ほど前に 10万円)が、あまりにも安いので目を疑って聞いて買っ てしまった。外箱にマック用とあるだけで細かい仕様も 付属品の明細もない。古いタイプなのだが、買ってきて 開封してみると、OCRソフト(eタイピスト)、コピーソ フト、フォトショップ限定版、ケーブルなどの付属品が 付いていた。新品で2万円だった。

 店員の古くてもマックなら大丈夫の一言が効いた。確 かに98やDOS-Vならケーブル形状を家に帰って調べた 上再度購入し、SCSIボードの適合性を確認しなけれ ばならないから、いくら安くてもその場で購入する訳に はいかない。マック用と書いてあれば古くてもたいてい はそのままの状態で使える。持って帰って付属品をその まま接続してソフトをインストールすると何の設定も特 別になく、直ぐに全部の機能が稼働した。600dpiをふる に使うとフルカラー写真一枚は50MBにもなった。イン ターネットではさすがにデジタルカメラが欲しい由縁だ。 明日もう一台買おうかなとも考えてしまう。残りはあと 一台だったからもうないかな。

 その直前にOCRソフトの読んでココを買ったのが少し 悔やんだ(11000円)。ただeタイピストは添付ソフトと してエプソンスキャナーでは使用できないようになって いた。

 ところでどちらのOCRソフトも認識率が随分と向上し ていた。それまではウィンドウズ用の亀島産業のオート タイプ日英(2年ほど前に70000円、去年のバージョン アップ版)を使っていたが、使いかってで一部オートタ イプ日英が良いものの認識率は飛躍的に進歩している。 ちなみにオートタイプ日英のバージョンアップは3000 円しかかからないのは良心的だ。


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