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山口 正司             


1998年 5月22日 金 晴      五月の写真集 写真10枚 1998年 6月 5日 金 曇      トヨタ「プリウス」試乗記 1998年 6月10日 水 雨      8ミリビデオの楽しみ 1998年 6月11日 木 晴      エアコン 1998年 6月30日 火 晴      ホームページを移そう 1998年 7月 2日 木 晴      アドレス変更しました 1998年 7月14日 火 曇      クラス会に出てやっと分かった簡単なこと 1998年 7月27日 月 晴      いつまでも、仲良くたって、かまわない 1998年 8月10日 月 晴      三回目のクラス会 1998年11月18日 水 晴      11月の写真「駒沢公園で」
1998年 5月22日 金 晴      五月の写真集

 夕方、チャコちゃんと航平は自由が丘に出掛けてきた。バスに乗って、航平は大井町線の電車を見るのが大好きだ。

最近の一ヶ月間のできごと、写真集 写真20K、10枚

1998年 6月 5日 金 曇      トヨタ「プリウス」試乗記

 トヨタ「プリウス」に試乗する機会があった。「プリウス」は電気とガソリンとの力とを融合させたハイブリッドカーで、量産車では世界発だそうだ。97年日本カーオブザイアを受賞している。モーターで発進するってどんなだろうとか、途中でエンジンに切り替わる時に、変な衝撃はないのだろうかと、未知の道具だから、興味は大きい。

 外見は小さく見える車だけれども、シートの位置は高くて、乗り降りはしやすい。運転席に座ると室内は広々としていて、見通しはよい。メーターは助手席との中間にある。エンジンを掛けてみると、エンジンは回った。当たり前のことなのだけれど、低速域では電動の筈だから、エンジンは動かないのではないかと思っていた。エンジン音は結構大きくて乗用車の静かなエンジンとは異なる。室内に入れば、エンジン音はそれほど気にはならない。外にいるとちょっとした軽トラック程のエンジン音はある。エンジンが暖まらない内、クーラーをかけている時はエンジンは動いているらしい。

 ミッションギアはハンドルの横に縦に付いている。助手席と運転席との間には何もない。反対側のドアから出入りすることは楽に出来る。

 ハンドル横に、縦に付いているギアミッションを引っ張りながら下に降ろし、アクセルを踏むと静かに車は発進する。

 モーターが回転しているうちは、出足が悪い。電車の加速が悪いのと同じように、アクセルを踏んでも直ぐには加速しない。アクセルレスポンスは悪い。アクセルを踏んでも離しても、車のスピードは急に変わらない。ふわふわしたアクセルの感じだ。

 止まる時にブレーキをかけると同時に充電装置が起動され、バッテリに充電される。ブレーキをかけた途端に充電装置の音がグィーンとして、急激に止まり始める。ブレーキは本当に軽く触る程度でないと、余りに急に止まりすぎる。

 一時停止で止まるとそのままエンジンも止まり、何の音もしない。シーンと静まりかえった感触は初めて感じるハイブリッドカーの感触だ。発進するとまたモータは回り初める。モータ音はそれほど大きくはないけれど、小さくはない。音ははっきりと聞こえてくる。

 30キロ程に達すると再びエンジンは始動する。30キロ以下になるとまた止まる。止まったり始動したりを繰り返すけれども、今、モータで動いているのか、エンジンで動いているのははっきりとは識別できない。スムーズに変わっている。耳をそばだてて、馴れなければ、乗車している人はハイブリッドであると気付かないだろう。

 乗せて貰った者からの感想は、静かで、乗り心地のよい車だという印象だった。運転した感想は、アクセルレスポンスが悪いことと、ブレーキが効きすぎる点がぎくしゃくしていて運転しにくかった。やはりガソリン車は歴史があって完成されている。ハイブリッドカーは今ここに始まったと言う段階なのだろう。ガソリン車から見れば、相当に乗りずらい。全体のぎくしゃくした運転感覚は初めて登場したころのFF車を思い出した。

 私個人の意見だけども、「プリウス」を個人で私用に購入するのは今の段階ではまだ早い。なぜなら、私にとっては運転しにくいからだ。しかし、燃料消費量はガソリン車の約半分、排気ガス排出量の多い低速域では電動だから、排気ガス排出量も際立って少ない。役所の公用車、高原でのタクシーなど、幅広いところで公的機関は「プリウス」を採用して欲しい。量産車として初めて開発したトヨタには敬意を表する。これから将来も発展して欲しい楽しみな車だ。

1998年 6月10日 水 雨      8ミリビデオの楽しみ

 デジタルカメラやスキャナーでパソコンに取り込んだ写真をスライドのように見ているのは楽しい。デジタルカメラで撮った写真も、もう千枚を越える程になっている。私の持っているデジタルカメラは一度に8枚しかとれない(スタンダードなら16枚)。普通のカメラなら、8枚でもいいのかもしれないけれど、デジタルカメラになるとちょっと足りない。8枚ずつ撮っては溜めて、撮っては溜めながらよく千枚にもなったなあと感心する。

 新しいデジタルカメラを欲しいけれど、今のデジタルカメラってやはりどこか足りない。画像の美しさなら、銀鉛写真にはかなわない。沢山撮れれば、転送にやっかい。転送が簡単なら、ウィンドウズしか対応しない。綺麗に撮れそうなら重い。沢山とれるのにバッテリはもたない。買ったら直ぐに古くなる。

 不平を口ずさみながら、デジタルならビデオも欲しいと思う。物欲ばかりのこんな思いって誰もがあるだろうか。

 最近、新しい楽しみを覚えた。私の8ミリビデオは1989年に購入したソニーのハンディカムだけれど、子供が産まれた頃にはよく撮ったものの、めっきり撮らなくなっていた。撮って見ることすらしないこともあった。その8ミリビデオの出番が急増している。

 古いビデオカメラをあたかもデジタルビデオのフォトモードのように5秒くらいの長さに撮っていく。5秒のカットを写真のように何カットも何カットも撮る。それが面白くてたまらない。後から撮った映像を見ると、写真をスライドで見ているように見える。ビデオを撮るのは結構根気がいるけれど、5秒のカットなら、スナップを撮るように何カットも撮れる。出来上がった画像はデジタルカメラではないから、勿論、パソコンで処理するには美しくないのが難点だけれど、数限りなく、その時々のシーンを短時間に回想できる楽しみは何とも言えない。テープメディアに保存済みだから転送の手間もない。

 今までは、外出してからデジタルカメラの画像を見直すのを楽しみにしていたけれど、今は古いビデオで撮ったシーンの数々を家族で見直すのを楽しみにしている。

アナログビデオカメラの映像。テレビを見入る航平。

1998年 6月11日 木 晴      エアコン

 自動車のエアコンが昨年の秋に壊れた。コンプレッサーが焼き付いてしまった。日産プリンスで聞くと、修理に凡そ20万円かかるらしい。そろそろ、この車もおしまいかなと思った。しかし、エアコンなんて最近は家電店の広告を見ても、とても安いのに、車のエアコンはちょっと高すぎる。家のエアコンが壊れたら普通修理するか、エアコンを買い換える。エアコンが壊れて家を買い換える人なんていないのに、車の場合は違うんだろうか。車は順調に走っている。

 近所に自動車修理工場があって、通りがかりにちょっと立ち話で聞いてみた。最近はそんな人のために古いコンプレッサーをばらして再生品に組み立てたり、焼き付いたコンプレッサーもばらして修理する専門の業者があるらしい。とりあえず外して、そんな業者に見て貰いましょうと、言われるままに、車を持っていって、外して貰った。それから、一ヶ月たっても何の音沙汰もなかった上、こちらからも問い合わせて、二か月程してから部品の修理が出来たと連絡があった。

 自動車を持って行って、修理を終えてかえってくると一年ぶりに冷気が出てきたときはちょっと嬉しくなった。室内もピカピカになっていた。コンプレッサーを見ると、新品のように光っている。元の部品をそのまま使って、修理したらしい。価格も安価だった。コンピューターの修理事情の悪さに慣れた身には、自動車の修理技術の高さには、いつも驚かされる。

1998年 6月30日 火 晴      ホームページを移そう

 6月26日から東急ケーブルテレビのインターネットのサービスを受けることになった。回線スピードは公称14Mbpsというが、インターネットバックボーンとは1.5Mbpsでしか、接続していないのだから、そんな従来の数百倍の速さにはなる筈はない。表示を見ると、3kbpsから80kbpsのスピードを示している。大体、自分のハードディスクに入っているのと同じくらいのスピードで表示される。スピードは追って早くなっていく。クリックしてから、加速度的に早く表示される。ダウンロードは著しく便利で、今回、漢字TALK7.5.5と漢字TALK7.5.3をアップルサイトから、ウィンドウズPentiam120MHZ機でダウンロードしたけれど、一ファイル、2MBのダウンロードにかかる時間は、およそ、20秒程で済んだ。

 他に、利点は
 ビデオ収録ホームページを利用できる。
 CU-SeeMeは動画で映る。
 24時間接続できる。
 電話代はかからない。

 ホームページサービスはまだ開始されていない。従って、多少レスポンスは遅いけれども、このアドレスにホームページを持つことになった。

 「家族のできごと」の名称は、これを期に、「けやき抄」に変更しました。今までと同様これからもこのページへのブックマークを心よりよろしくお願いします。

 ケーブル回線での欠点は、夜11時くらいの混む時間帯になると、急速にレスポンスを落として、自分のコンピューターシステムまでもがフリーズしてしまう。今こうして書いている、私のマックは68系という古いもので、接続出来ないと、規格では表示されていたけれど、やはり驚く程、速いスピードを堪能できる。

 大きな誤算は、ケーブルテレビ会社は独占事業体であることだ。今までのプロバイダー契約なら、気にくわなければ、幾らでも変更したし、技術革新、競争効果によるサービス向上は目を見張るばかりだった。サービスが始まって、東急とのやりとりで、どれほど、役所に出掛けたような、横柄な対応で悔しい思いをしたか分からない。どんなに腹がたっても今のところは他にほとんど競争相手がない独占状態になっている。

 ホームページ移転は東急がホームページサービスを開始してからと思ったのだけれど、待っていても仕方がないので、移転することにした。ここのアドレスはレスポンスの遅いのは難点だけれど、この二年間使って、おおむね、対応には、満足している。

 今まで使っていた、BNNネット(今はnetjoyに改称)ははじめてインターネットに接続した1995年から三年間、大したトラブルもなく、回線スピードも早く、(xxx)-9171に接続すれば、全くbusyになることもなかった。アクセスポイントは(03)しかない関係からか、使い放題で月々1200円(ホームページ600円)の料金は最高の満足を与えてくれた。

 営業母体はマック雑誌「MacLife」で有名な出版社のBNN社で開始し、今はLan boardやマックとウィンドウズとをデータ交換するソフト「TIMBOKUTU」を発売する「DIT社」で運営されている。両社とも技術力もあり、懇切丁寧なサポートには心から感謝していた。プロバイダ会社訪問の企画には私も参加して機械の実物を見せて貰ったり、交歓会もあった。小さいけれどいつも心のこもったサービスだった。きっといつまでも記憶に残るだろう。どうもありがとう。

1998年 7月 2日 木 晴      アドレス変更しました

 今まで、親しんでいただきました、「家族のできごと」は6月30日を持って終了いたしました。

 なお、新しい名称で「けやき抄」として、本日より、再スタートいたします。内容は今までの家族の話題とともに、折々の社会の様子、私個人の考えを綴る予定です。更新の頻度は一週間から一月に一度を予定しています。「あなたの伝言板」は今までどおり毎日拝見しています。どうぞこれからも親しんで戴ければ幸いです。

 ホームページアドレス、メールアドレスとも7月1日より変更になりました。旧アドレスは7月末日まで使用できます。

 なお、過去に作成された、ホームページと「家族のできごと」のすべては1996年分、及び、1997年分として、このホームページ上にこれから先もけやきの成長のように綴られて行く予定です。プロフィールなど、現在のホームページに欠けている部分については、どうぞ、過去のホームページをご覧下さい。過去分についてはアドレス移転に伴い動かない場所もあります。どうぞお含みおきください。

 これから先このホームページは延々と続きます。どうぞ、今すぐ新しく変わった、このページに、ブックマーク、お気に入りの設定をよろしくお願いいたします。

1998年 7月14日 火 曇      クラス会に出てやっと分かった簡単なこと

 涼しい日だ。歩いているとノルウェーやカナダを散歩するような気持ち。土曜日にあったクラス会の様子がまだ頭から離れない。級友たちは、今は親友たちとなって、私よりも私を知っている。言葉は暖かみと鋭さと優しさとで、迫ってくる。土曜日の夜中は夢に出たし、日曜日は家族のドライブで、何度もぼうっとしていると指摘された。級友たちの言葉は頭から離れない。

 自分は前を見て建設的に考えるよりも、むしろ過去を思い返しながら、じっとして生きるのかもしれない。過去の様子を話しながらも今もまた過去を考え直している。

 同窓は久しぶりに会うだけに、会わない期間は、それぞれの出来事を話すチャンスがない。会って話すチャンスが少ないと自分では妄想のようになって事実がふくらんでしまう。

 私は一度、級友に航空機の乗車券を手配して貰ったことがあった。級友の彼女は私の願いを通常の業務の中で、一種特別にかなえて、彼女自身もその時は嬉しかったそうだ。ところが私自身は依頼をずっと恥ずかしいこととして捕らえてしまった。友人に乗車券を依頼することは通常はなんでもないのかもしれないのに、私の頭の中では、自分自身がパニックに陥ったことを思い返すばかりだった。

 彼女にとっては普通の嬉しい出来事にしか過ぎない。友人の窮地に、自分の仕事の中で助けになれたことは嬉しかったそうだ。力になれたのに、恥ずかしがられるなんて、逆に迷惑な話だ。

 当たり前なのに、パニックになっていたことばかりを思い返しては、一人、妄想のように、ずっと、恥ずかしがっていた。恥ずかしい理由も分からぬままに恥ずかしがっていた。久しぶりに会って話しを聞くと、永い間の自分の思いと何となくの事象がはっきり甦って、恥ずかしいことは、実は感謝すべきで、二人のどちらにとっても嬉しい過去だったと気付いた。クラス会ではそんな思いを確かめた。

1998年 7月27日 月 晴      いつまでも、仲良くたって、かまわない

 クラス会に出てから、まだ二週間程しかしていないのに、またクラス会の連絡があった。高校時代の級友達とは仲がいい。二週間前のクラス会の、その何日か前にも会ったから、短い間に三回も続く。私自身は人と会うのがめっきり減っているのに、旧友には、何度でも会いたい気持ちになってしまう。むしろ、会わずにいるのが辛いくらいの気持ちにもなる。

 今、電話して、
「この間会ったのに、また出席するの?」
と私がぶしつけに聞くと、
「高校時代は毎日会ってたんだから、このくらい、しょっちゅう会ったっていい。」
と友人は言う。

 15才の春から18まで、同じクラスで毎日同じ男女が顔を突き合わせて、旅行に行ったり、夜通し話したりしていたのだから、いつまでも、仲良くたって確かにかまわない。

 先々週のクラス会で常任幹事の山口君なんて紹介されたけれど、高校卒業してから、他の集いはめっきり無頓着になっている。だって、自分の結婚式だってしていないのだから。

1998年 8月10日 月 晴       三回目のクラス会

 今年になって三回目のクラス会は無事に終わった。土曜日の夜遅くまでクラスメートと話して、話してきたのに、もう今日には会いたいような気持ちにもなる。なんで、それほどに楽しいのだろう。自分自身が本当の自分を取り戻せるのは家族の中と旧友との集いだけなのだろうか。もし、別れた、恋人がまた会おうと話したら同じように会うのだろうか。別れた恋人は自分の意思で離れたとしても、旧友達は、望む進路で離ればなれになっていった。安寿と厨子王が、離れるように、皆、自身のために離れ、離れることで、互いに、自身を高めながら、再会したのだろうか。どれほど、進路が違い、成し遂げた成果が異なったとしても、再会の場には、互いの平等が既に保証されている。人と人とが平等であることでの豊かさと、人と人とが互いに認め合う価値の高さを確認する機会になっている。

 自分を取り巻く実社会の場は、尊敬と敬意と慈しみとが、重なりあいながらも、順次消えさってしまう場合も多い。旧友を大切にしながらも、更に今の私をとりまく人々に対しても将来に亙って永く信頼しつづけられたら、それは、より幸せなことに違いない。思い違いをしながら、喧嘩しながら、大切にしたい人々にきっと誰もが囲まれているのだろう。

1998年11月18日 水 晴      11月の写真「駒沢公園で」


11月の写真「駒沢公園で」


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