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97年6月

山口 正司             


1997年6月 1日 日 晴      東急ハンズ 1997年6月 2日 月 晴      読み方と書き方 1997年6月 3日 火 晴      椅子 1997年6月 4日 水 曇時々雨   柔道 1997年6月 5日 木 晴      すれ違い 1997年6月 6日 金 雨      ホームページ作成ソフト 1997年6月 7日 土 晴      告知(一般論) 1997年6月 8日 日 晴      待つ 1997年6月 9日 月 梅雨入り   歩く上で困ること 1997年6月10日 火 晴      歯磨き 1997年6月11日 水 雨後曇り   質問 1997年6月12日 木 晴      ウォーキング 1997年6月13日 金 晴      ハードディスク 1997年6月15日 日 晴後雨    はざま 1997年6月16日 月 曇り     リンゴジュース 1997年6月17日 火 晴      競争 1997年6月18日 水 雨      確認 1997年6月19日 木 曇時々雨   張り紙 1997年6月20日 金 台風     見舞い 1997年6月25日 水 晴      夏至の日差し 1997年6月26日 木 晴      誉める 1997年6月27日 金 晴 暑い   株主総会 1997年6月29日 日 晴      ピエロ 1997年6月30日 月 晴      可哀想
1997年6月 1日 日 晴      東急ハンズ

 天気の良い日曜日で家族で出掛けた帰り途、渋谷の東急ハンズに立ち寄った。渋谷は人が多い。ファッションも様々だし、道路をローラーブレードやスケートボードで移動する人も多い。

 東急ハンズは東急グループが作ったものの内、田園調布の街づくりに匹敵するヒット作だ。東急ハンズに立ち寄るたびに時代の流れと商品が共に刻みこまれる。最近購入しつづけている商品はコンピューター用紙だ。他のどこにもなかなか手に入らない美しく印刷できる厚手の用紙が販売されていてここまで買いにくる。

 今日来た目的は航平の自転車の椅子だ。あるだろうと思ったが残念ながら満足するデザインの椅子はなかった。私は後ろに座らせる椅子が安全そうに見えるがチャコちゃんは前に乗せたいらしい。後ろに座らせる椅子は沢山の種類があるが、前に座らせるものはよく見るタイプの一種類しかなかった。

 仕方なく、紙など、必要な物だけを購入した。東急ハンズの大きなウィークポイントは東急線も同じだが、バギーや車椅子が使いにくいことだ。 航平は
『どこにでもすいすい行けるように』
と名付けたが、その名の通りどこにでもすいすい行ってしまう。

 混んだ店内を一人ですたすた私が後ろからついて来るのを確認しながら歩いて行く。人の間をすり抜けてはすいすい出掛けていく。階段はどんどん登っていく。一緒に連れていこうと抱きかかえると大声で抗議する。手を握れば渾身の力で振り払う。放って行くまねをするとちょっと確認するが、かまわず一人で反対方向に出掛けてしまう。

 出掛けた先の店員や客の前でおしゃぶりをした姿で、
「一才」
と手を突き出しては笑って挨拶をしている。おしゃぶりをはずせば、大きな声で
「あっ、あっ」
と言って、挨拶している。にこにこしながらアベックの間をすり抜けて人の足にからまって行く。からみつかれた男性もかまってくれたりしながら、その間じゅう
「どうも、どうも。」
とこしぎんちゃくのように私は後からついていく。

 幸い商品には手を振れないようになったが、電気やガラスが置かれているところから動かない。ネオンライトが気にいって指さしては
「あっ、あっ」
と叫んでいる。

 買い物がすんで店を出るときは日曜日の美しい夕焼けが沈む頃で航平は家族の疲れをよそに寝てしまった。人並みに「疲れたと。」言えるのは「順調に成長している。」という意味かもしれない。



1997年6月 2日 月 晴      読み方と書き方

 体や精神のコンディションが悪い時には他人の行動が自分に対して悪意があるように見える場合がある。自分も人に対して悪意を持つ場合もある。親切にしてくれた時に何故だか理由が分からず下心があると思う場合さえある。

 原因は自分の中にあるが自然にそう思う時は抜け出すのに苦労する。それで、仕方なく、『そんなことはない』と「思いこむ」ようにする。

 事実自分に悪意をもたれているかもしれないし、下心であるかもしれないが、悪意なら、はっきりと挑んでくるし、下心なら何かを要求してくる。悪意ではないと仮定する方が健康上良い。

 この文章も内容に批判があったり、悪意が含まれる場合がある。しかし、それは決して今読んでいる方を攻撃している訳ではない。批判している対象は私とあなたをとりまく社会やシステムだ。

 制度を替えたり見方を替えることで、良くなるかを考えたいと思うことが文章を書いている動機だ。だから読んで戴く方は私にとっては味方であって、あなたも、所属している会社も組織も攻撃することは決して本意ではない。

 だから読む場合も攻撃されていることは無いと思いながら楽しんでいる。

 攻撃されているように見えてしまう場合も時にないとはいえない。実際文章を書いているのは、仕事ではないからゆったりと落ち着いた気持ちで書いている。心の奥底まで表出されるし、悪意も出てくる。恐らく家庭の中に一緒に住んでいる位に書き手の近くに居るのかもしれない。

 実社会でも紙メディアでも大半はよそいきの表現に終始している。ホームページの良さは真実の心の奥底の声が聞こえることだ。悪意を感じるのは、ホームの名の通り家族の一員の苦しみや辛さを吐き出す場面に居るのかもしれない。

 誰も深くは考えないだろうが、自分が悪意を感じるときには気軽に友人になれたと思いつつゆったりと見ようと思い直したりする。



1997年6月 3日 火 晴      椅子

 夕方、家族でダイクに行って自転車の子供用の椅子を見るがやはり無い。その後碑文谷のダイエーに行って見ると今週新しく発売された椅子があって、望んでいたデザインとぴったりで購入した。ヘルメットも合わせて購入した。

 自転車に今付いている籐風のかごのメーカーが作った椅子で同色の籐風になっている。 チャコちゃんは待った甲斐があったと言っている。私は自転車に子供を載せて走るのはどうも危険に見える。

 どうしても必要なら仕方がないが、特段自転車がなくても不自由はない。買い物も駅も歩いて十分だ。折衷を取ってヘルメットを付けることになった。付けさせるかどうかは分からない。頑丈に出来ていて小学生低学年まで使えるらしいのでローラースケートなどにも一つあると便利らしい。頭が大きめで子供用のSサイズだった。今は公園も路地もアスファルトになっている。両膝はすりむいてかさぶたになっている。

 昨日はテレビで喘息治療が変わったという報道があった。新しい治療法は私も知らなかった。現在死亡している治療法は子供の頃から危険と言われつつ、続けていた。報道では一日4回くらいの吸入使用が限度だと言うが、寝ているときには無意識に100回程も使用する。航平がおしゃぶりを無意識に取っているのと同じだ。小学校から高校を卒業するまでズボンのポケットには何時も危険な吸入薬が入っていた。薬屋でも買えた。使うほど悪化するが手放せなかった。今は使っていない。

 ソニーがコンピューター市場に再度新規参入するらしい。音響と映像に秀でたパソコンを発表したそうだ。ソニーは新機軸の商品を常に開発しつづけているが、製品コンセプトは一貫してデータの受信、保存と再生に見える(ソニーの洗濯機は想像できない)。全く新しいパソコンを作って貰いたい。パソコンメーカーは過去の資産を大切にして欲しいが、過去の資産に全くこだわらなくても断然進歩していれば支持する。パソコンの箱の中は空気が多い。



1997年6月 4日 水 曇時々雨   柔道

 かつて中学校に入学したときに柔道部に入った。「柔よく剛を制す」と聞いた時には驚いた。成長期が遅かったので、体格は小さくて、ほとんどの女子は自分よりも背が高かった。入部した時の三年生を見ると怪物のように大きかった。

 「柔よく剛を制す」から小さくても大きな人に立ち向かえると思うのは夢があった。「押さば引け、引かば押せ」と教わり、相手が押してきたら、押してきた力を借りて引き倒し、引いてきたら引く力を借りて押し倒す、と教わった。

 思春期での体をつかっての教えだったから、その後も自分の心の中からこの言葉はなかなか離れなかった。柔道は受け身を習って投げられ方から学んだ。

 自分は良く優しそうだと言われるが、実際は結構押され強い。一本勝ちが残っているはずだと思ってしまう。

 航平を見ていると柔道の歩き方とそっくりだ。生き方そのものも柔よく剛を制すようで体は柔らかいし、幾ら泣いてもへこたれない。がに股、よたよたと歩く姿は、すり足稽古をしているようだ。ころぶことから学んで今は受け身の連続だ。

 ところで現実の柔道はオリンピック種目になってからは体力と筋力の勝負になっている。強豪選手の一人があるとき
「今時、柔よく剛を制すなんて考えるから日本の柔道は勝てない。」
と身近で漏らしたことがある。圧倒的な筋力の持ち主はやはり強い。

 日本的精神は世界に対して説明する力を持っているのかどうか、よく問われる。日本的精神自体が「説明しなくとも分かるべきだ」とする思想を含んでいて、説明、案内することと相反してしまっている。



1997年6月 5日 木 晴      すれ違い

 チャコちゃんは航平を連れて都立児童会館に出掛けた。しばらく前から計画していて公園の友達が親子十組以上集まったようだ。チャコちゃんはとりまとめ役になって地図を配ったりしていた。

 現地に11時頃に集合して二時頃に帰ってきた。予定よりも大勢集まって楽しく過ごしたらしい。児童会館がある渋谷までは地下鉄なら近いがわざわざバスを使って待ち合わせて行ったらしい。バスは子供に好評で四組の親子が利用したそうだ。

 一緒だった一人の家の建物の玄関前と、地下鉄の駅前にしばらく前からテレビカメラが設置されている。皇族の結婚かと思っていたが、聞いてみると野村証券の元会長が現在住んでいるらしい。

 夕方写真の出来上がりを取りに八百屋に立ち寄った。チャコちゃんが撮った半分以上が真っ暗の出来上がり。三度目、カメラが壊れたのだろうか。

 八百屋に立ち寄った間にチャコちゃんは私を迎えに航平と駅に向かって、すれ違いになっていた。私は戻った誰も居ない家から駅にとってかえすと改札口で待っている二人が居た。

 航平は夕食を終えて、抱っこするとお腹はぷくぷくに膨れている。食べて歩いて大声で叫んでは笑っている。昼寝は充分だったらしい。表情は良い。



1997年6月 6日 金 雨      ホームページ作成ソフト

 外見で人は変わると言います。内面を見て欲しいとも言います。 デザインが変わると文章が変わったように見えるのは不思議です。

川島さんからクラリスホームページを教えて貰ってさっそくダウンロードしてみました。

 ダウンロードを指示すると、およそ十分程かかりました。ハードディスクに入ると自動的に解凍されます。

 インストーラーをクリックするとそのまま一ヶ月間使用することができるそうです。

 使った印象は今まで使ったどの作成ソフトより好印象です。

 ホームページ作成ソフトを使って楽なのはリンクがしやすいことです。

 毎日遊ぶ公園は駒沢公園です。

 普段使っている駅は駒沢大学駅です。

という風にさまざまリンクを張るのが楽ですね。

 それから表を作成するのも簡単です。字の大きさを替えるのはソフトなしでは

です。

 しかし、肝心の文章はと言うとなんか自転車に乗りながら書いているような気持ちです。

 理由は動きがわずかに遅いことと今一つ細かな点で不自由なことです。

 明日からもこのソフトを使うかどうかは分かりませんが、試してみるのは楽しいことです。出来ればアンインストールツールが付いているとよいのでしょう。

 私は多分購入しませんが、もしも購入せざるを得ないか、あるいは購入することが可能なら、現時点ではクラリスホームページを選択するでしょう。





1997年6月 7日 土 晴      告知(一般論)

 癌の告知をすべきか否かには両論あってなかなか答えは出ない。最近は告知する医師も多い。問題は確実に余命がほとんど無いと分かる場合の告知だ。人生の最期であっても本人の生きる希望を失わせたくはない。告知しないことで、奇跡も起きるかもしれない。

 医師の診断の通りにいかないことを望んでいるし、希望しない内容を聞く必要はないかもしれない。告知しないことで周囲は患者本人の前で演技しなければならない。必ず治って貰うための演技だ。下手な演技は出来ない。誰も嘘は慣れない。患者本人との会話はなかなか出来ない。

 告知すれば、患者本人と心からの真実の会話が出来る。患者本人のやり残したことや言い残した事柄を何でも聞くことが出来る。告知しないことは真実の会話が出来ない代わりに最期まで希望を期待する。

 自分の体験は、真実の会話を交わしたかった思いから、告知をした方が良かったと感じることが多い。しかし、告知される患者本人になった経験は無い。本人にとって告知されない方がよいか悪いかは経験がない。うっすらと事実が分かってきても事実を話される必要はないと感じるような気もする。

 病気で苦しむ自分と同年代の患者に対して、告知しないで、隠し通すことほど苦しいことはない。







   写真
 ヘルメットをかぶって自転車に乗って




1997年6月 8日 日 晴      待つ

 航平の動向は一日のペースを結構左右する。日曜日の昼から昼寝をたっぷり四時まで続けると家の日曜日はのんびりとする。

 午前中はNHKスペシャルを見る。剣道の八段試験の受験風景だが、チャレンジを通して剣道の本質を感動的に伝えていた。家族の応援も含めて心のひだが美しく描かれている。

 夕方になって家族で高島屋に用事を済ませに出掛ける。帰りには遅くなって馬事公苑近くの郊外レストラン藍屋で夕食を取る。二十分程待ちますと言われて待ったが、席に着いてからも、結局七時五十分から九時まで待ってしまった。回りを見渡しても誰も食べていない。航平も待つのは大変だったようだ。

 食事を待つのはお腹がすいているだけにいらいらする。かつてチャコちゃんと一緒に軽井沢に出掛けた時にプリンスホテルの系列庭園レストランで二時間程待ったことがある。コースになって、前菜はすぐに出たがスープを一時間待って、その後も一時間程待ってしまった。結局あきらめて出たが料金は請求されたものの支払わないと言ったらそれで良いということだった。ゴールデンウィークの中日だった。景色と吹き抜ける風はお腹がいっぱいなら最高だった。

 最も不快だった経験はカナダのケベック州でチャコちゃんと一緒に入った田舎のドライブインとやはり同じケベック州での中規模ホテルのレストランだった。両者とも同じ待たされようなのだが、入って案内されて席に着くもののウェイトレスが来ない。

 呼ぶが来ない。顔は合うが来ない。後からくる白人はすぐにウェイトレスが来て注文を済ませ食事をしている。隣の白人は私たちのためにウェイトレスを目と指で呼ぶがやはり来ない。

 しばらくして両者のレストランとも注文を取りにきて万全のサービスで食事は済んだ。待っていた時間はおよそ十五分程だが例えきれない程の屈辱感はあった。理由は未だによく分からない。

 自分の勘違いかもしれないし、なんらかの担当の事情か、チップ獲得上の作戦かもしれない。人種差別はされた立場になると結構根が深い。日本でも蕎麦屋に外国人が入っていると順番どおりになっているか気になることがある。



1997年6月 9日 月 梅雨入り   歩く上で困ること

 航平を連れて歩く上で困っていること。一つは犬の散歩と放し飼い。駒沢公園を歩くと多くの愛犬家とすれ違う。最近の大型犬は虎と遜色ないほどに大きいものもいる。航平は小さい犬は好きで近くに出掛けては「わんわん」と言ってはご機嫌だ。

 ところが放し飼いにはとてつもない不安感がある。飼い主は自分の飼い犬が安全だと信じているのだろうが、たまたま出会う犬が安全かどうかを見極めるだけでストレスになる。

 紐でつながれている場合も近くを通り過ぎる時に、かみつかれそうになる経験を経るたびに怖くなっている。

 ベビーカーで歩くと車椅子を使う人の悩みが共有できる。しばしば困るのは段差だ。二センチくらいの段差は越えるが、わずか三センチ程になると衝撃と共に壁に衝突したようになる。信号で横断歩道を駆けるようにして渡り終える最後にぶつかったり、道路上に気づかない段差はある。はっきりと大きい段差は持ち上げるがぎりぎりの高さが危ない。

 駒沢公園に入るときには急階段でベビーカーを持ち上げる。駅でベビーカーを使うのは、エレベーターが無いので労力がいる。チャコちゃんは良くバスを利用するようになった。

 買い物に碑文谷のダイエーによく行くが、ダイエーは数少ないベビーカーでエスカレーターを利用出来る店だ。大半の大店舗はエスカレーターでのベビーカーの使用を許可しない。エスカレーターで危険な思いをしたことはない。一階上がるたびに階段を持ち上げて買い物はしない。

 数え上げれば、きりがないほどに社会資本には不備がある。しかし、最も大きい障害は自分も含めて「考え方」だ。駅でのベビーカーの利用をし易くすべきだと強く主張することは認められないように感じる。大半の人が混雑で苦しんでいるからだ。
「必要なら、おんぶをすれば良い。」
と思えば、黙ってしのび、我慢する方が美徳だし、争いもなく楽なことだ。

 苦しいことを我慢してやり遂げることは勿論大事だが、改良して、しのぎやすくする努力は、結果としてやり遂げる量を増加させる。



1997年6月10日 火 晴      歯磨き

 先月半ばからのどが赤く腫れて痛みが続いている。念のため耳鼻科医の元に昨日出掛ける。うがい薬とアスピリン系抗生剤を処方される。服用して少し通うようだ。ずっと続いているが薬を飲みはじめると、今日の航平の風呂は免除になった。

 最近の航平の風呂は手短かに終わっている。頭を洗うときに仰向けにされるのを嫌がるが、電光石火のごとく終えてしまう。シャワーにかかるのは冒険をするようにお湯の下におそるおそる自分から近づいている。

 風呂から上がるとチャコちゃんに歯を磨いてもらうが泣いて抵抗する。歯磨きが終わって全部終了になる。「お休みなさい」の挨拶を覚えた。私が「お休みなさい」と言うと、ひざをわずかに曲げて頭をわずかに下げる。歯磨きされて泣いているときも、泣きながらお休みなさいをしつつ、チャコちゃんと一緒に部屋に行く。私の方を見ないで背中を向けて、泣きながら、「お休みなさい」をしつつ、蒲団の方に出掛けて航平の一日は終わる。



1997年6月11日 水 雨後曇り   質問

 午前中航平はチャコちゃんに連れられて保育園での地域とのふれあい保育に出掛けた。保育園の中で子供たちと一緒に自由に遊ぶことができる。お兄さんやお姉さんにかまってもらって楽しんできたようだ。毎週水曜日の午前中に開かれているらしい。相互に刺激になっているようだ。

 夕方私は秋葉原に出掛けた。かつては銀座線を良く利用したが大手町で乗り換えて淡路町で下車する方が早いことを知って、最近は、このコースになっている。都心部の地下鉄はおよそ400メートルごとに駅があるらしい。何も目的の駅だけを利用する必要はない。

 淡路町から秋葉原までの間には古い神田の町がそのまま残っている。明治時代から残る料亭や蕎麦屋、洋食屋、病院がひっそりと取り残されたように建っている。

 秋葉原は店舗のリニューアルが整って夏のボーナス商戦を控えるばかりだ。新宿西口でのカメラショップの方が競争が激しくて、売れ筋中の売れ筋商品では秋葉原の方が値段が高いものも幾つもある。

 店舗の数は圧倒的に多いので、つまらないもの、古い物、面白いものが見つかるのはやはり秋葉原だ。書籍が全面に並ぶようになったのも不思議なことだ。

 帰ってから朝日新聞の夕刊を見る。昨日の夕刊一面「素粒子」の記事の中で不明なところを電話で聞いた。筆者に問い合わせた上で折り返し電話を貰う約束になっていた。忘れたかなと思っていたが、今日の夕刊「素粒子」上に答えとして出ていた。寸鉄釘を指す短い文章の中に、インターネットでは当たり前の、双方向性の楽しさをわずかに味わった。



1997年6月12日 木 晴      ウォーキング

 のどが赤く腫れている私は鼻水が出ている航平と一緒に耳鼻科医の元に行くことになった。チャコちゃんはよく連れて行くが私ははじめてだ。待合い室ではよたよたと歩いておじいさんと、おじさんと、おばあさんからあやされていた。比較的静かに本を見たり
「あっ、あっ」
と言っていた。

 診察室で、私の、のどの治療の後、航平の鼻に薬の噴霧、鼻水の吸引、喉の消毒と、おとなしい。私は航平の足を自分の両足でおさえて、片手で両手を押さえて、片手で頭を押さえた。

 帰ってから家族で買い物に出る。目黒区掲示板を見ると「夜の街中を歩く会」募集の張り紙がある。青年部とあるが、公的な会にしては名前が独特だ。公園の友達の中にも夜間家族でウォーキングを楽しむ人はいるらしい。

 朝方朝日新聞社から電話があって、
「昨日の紙面に記載しておきました。」
と言われた。私は一人の読者だ。紙面が私信になっていて返って分かりにくいような気もする。嬉しくて
「有り難うございます。」
と答えてしまった。

 午後、都庁にぶた公園のいたずら書きを消して欲しい旨の要望をする。
「出来る限り早急に着手します。」
という返事だった。



1997年6月13日 金 晴      ハードディスク

 ウィンドウズ機のハードディスクが一杯になった。NECに問い合わせると標準内蔵ツールによるハードディスクの圧縮でおよそ500メガバイトの空き容量が出来るらしい。しかし、圧縮されたハードディスクは1ファイルで一元管理されるためにシステムの安全性が極めて損なわれるそうだ。出来る限りハードディスクの増設で対処して欲しいということだった。

 私の増設内蔵ハードディスクはIDE方式で接続される。転送速度は外部接続する場合のSCSI方式よりも早いらしい。しかし、マイクロソフトによるとウィンドウズではIDE方式は二台までの接続しか保証しないらしい。一台目は本体内ハードディスク、二台目はCDドライブだから、保証される方式にするためには、CDドライブをはずすことが望ましいという返事だった。従って今のシステムの上に内蔵IDEハードディスクを増設するのは不安定であることが予想されるらしい。外部SCSI接続ハードディスクの使用は安定しているらしい。PDを接続する為にSCSIボードは取り付けているが電源を取るのが多少面倒だ。丁寧に教えてくれた。NECのサポートはとても良い。

 テープストリーマーなど何れのバックアップ装置でも現況PC98ウィンドウズのシステム全部をバックアップすることはできないと言う返事だった。すなわち現況では環境をバックアップすることは出来ないそうだ。環境をバックアップ出来ない場合システム監査の認証を受けることは事実上不可能ではないのだろうか。

 かつて、何か作ったプログラムを入れる前にはシステム全体のバックアップを取ってからはじめた。バックアップを一元的に取れないシステムは少々困り物だ。

 マックの方は極めて安定している。ハードディスク総使用量は280メガバイト程で空きにもゆとりがある。バックアップはPDで環境ごと丸ごと全部、施されている。バックアップされたPD一枚で自分のシステムがそのまま立ち上がる。ハングアップはネットスケープで時折見られる。プログラムのアンインストールは簡単で、68系のCPUだが、アクセススピードは比較的速いまま保たれている。不安定が原因でシステムを再インストールするのは、幸いまだ経験していない。

 一台のPDをウィンドウズ機とマックと双方で使用している。マックでは電源スィッチを切ると、入れてあるフローピーディスクが自動的にぽっこりと出てくるが、PDディスクまでもがぽこっと出てきたのには感心した。



1997年6月15日 日 晴後雨    はざま

 夕方家族でぶた公園に出掛ける。落書きがペンキですっかり消されていた。都庁に木曜日に要請したが、行く前に、一ヶ月くらいはかかるだろうとチャコちゃんと話していた。電話したのは木曜日の午後だから、金曜日に、消したのだろうか。早い処置で心地よい。五月頃から、早く消さないかなと心待ちにしていたが、待つよりは、話してみる方が意思の疎通がしやすい。

 ところで、行政側として、住民からの声は仕事を進める上ではとても力になる。行政マンとしてやった方が良いと思われることでも、何のアクションも無い所に施策の実行はしにくいことがある。住民からの意向があってと言う一言は、内部での実行に当たって大きな力になる。

 役人と言うと少々聞こえは悪いが、誰も文句を言われるために役人をしている訳ではない。仕事はしたいが組織が硬直しすぎていて動けない、出来ないのが実状だ。誰も仕事をする上では喜ばれたいし感謝されたい。誰も言わないのに落書きを消し続ければ税金の無駄遣いと言われかねないし、塗装業者とのいらぬ癒着を問われるかもしれない。政治の関係を問われることもある。どうしてもすぐには出来ない事情があることは多い。

 よく主張することが大切だと言うが、主張というのは文句を言うことではない。良くあるのは落書きがあるから早く消せ、何やっとるんだ。と言うのは少し違う。誰も何やっとるんだ。と言われる義理はないし誰も仕事はしている。

 すっきりとそのまま言えばいい。私が電話で言ったのはぶた公園に落書きがあること。幼児が遊ぶ場所だけに落書きによる不快感が他の場所よりも一層大きい。出来れば消して欲しいと私は感じる。一緒に遊ぶ何人かもそう思っている。と伝えただけだ。

 そのまま言っただけだ。良く外国に出ると主張すべきだと言うが誰も文句ばかり言う人は居ない。ゆったりと自分の考えを落ち着いて話して分かって貰えばいいだけだ。コンピューターのサポートでは米国文化がそのまま入っているがその通りだ。

 先日マルエツでセービングコーラを六本買った。代金は228円のはずだが、234円だった。わずか6円違うのだ。こんな時には
「違うのですが。」
と言って6円返してもらうとお互いに嬉しい。店は他の客にも不快感を与えなくとも良いし、私はもやもやした気持ちが晴れる。たったの6円で両者が楽しみを得られるなんてなかなか無い。

 やはり先日ドトールコーヒーでコーヒーを飲む年配の常連客が店員に
「代金上がったの。」
と聞いている。
「いいえ、ああ、間違いですからお返しします。」
と言うと、客は、
「いいんだ、いいんだ。そんな意味で言ったんじゃあない。」
と、受け取らない。

 古風な奥ゆかしさだなあと思う。客は間違いも教えてあげたいだけなのだ。言わずとも気持ちを理解しあう、互いを推し量りながら気持ちをつなぐ。代金の違いの10円かそこら返して貰うより、常連客は常連客としてゆったりとしていたい。

 私は、気持ちを推し量る良さも分かるし、主張する良さも分かる「はざまの時代」に居るのだろうと思う。しかし、正しく主張されたり、分かり易く話される方が、はるかに気持ちがよい。分かり易い話し方は好感がもてるし、尊敬の対象でもある。



1997年6月16日 月 曇り     リンゴジュース

 チャコちゃんは友人の康子ちゃんと会うために、航平を連れて自由が丘に出掛けた。夕方帰ってから家族で魚屋まで買い物に出た。魚屋、魚新までは歩いて15分ほどかかる。帰りにはケーキ屋でプリンを、八百屋で航平が食べるバナナとトマトとごぼうなどを買って家路に向かった。

 途中チャコちゃんの提案で私と航平とで散歩に出た。チャコちゃんは買い物袋を持って家に向かい、私と航平は駒沢公園に向かった。公園まではおよそ400メートル程もあるだろうが、航平は一度もころばずに一人で歩き通した。航平と歩く時には私は後ろを付いていくようにしている。私が先に前を歩いて行くと、後から付いて行くのは辛いだろうと思うからだ。

 後ろから航平が進むのを見ていると、ほとんど公園までの道のりを間違えずに歩いて行く。手をよろけさせて、体は何度となくころびそうになりながら公園までたどり付いた。もうほとんど日は暮れている。夜のぶた公園は誰も居ない。航平は暗いぶた公園のすべり台の階段を登って行く。ころんで頭をぶつけて泣くものの、すぐに立ち直ってあちこちと歩く。

 すべり台を降りようとはしない。降りずにあちこちの様子を探検している。高所だから結構危険で、ひとときも目は離せない。後ろから付いていくが洋服の後ろの裾を時には引きながらあちこちと見回っている。手を離しても大丈夫だろうと思うが、高い階段をダイビングするように前向きに歩き出している。私が押さえなければ階段下まで転落する。疲れているのか、反対側の急斜面を前向きに突っ込んで行く。まだまだ一人では生きていけない。

 すっかり暗くなって、お尻を見るとうんちをしている。公園に行く途中にチャコちゃんが家から自転車に乗って持ってきたリンゴジュースを出して公園で全部飲んだ。

 帰り道は、バギーに乗せて、うんち臭いがご機嫌で、大きな声で「あっ、あっ。」と言っていた。



1997年6月17日 火 晴      競争

 13日の日記の中でウィンドウズ上でハードディスクの増設に難があると書いたが、IDEハードディスクメーカーに問い合わせた所、不具合を解消するプログラムをインストールすることで不安定は解消されるらしい。

 IOデータに問い合わせると、
「ウィンドウズ95CDの中の\drivers\strage\nec\esdi_506をシステムの中の\windows\system\iosubsysフォルダーに上書きコピーすることで解消されます。」
と言う指示だった。しかし、見てみると両者は同じ日付のファイルだった。

 同じ日、マックの調子はとても良いと書いたが、翌日から機嫌が悪くなった。マック上でウィンドウズのことを書いたのが原因かなと思った。

 マックはファイルをオープンするときには前回開けた場所が開くように私は設定している。一部のソフトに限ってちゃらんぽらんに、時折り違う所が空いてしまう。すねているようだ。

サポートに問い合わせてみると、
「初期設定の中の、「一般設定初期設定」ファイルをごみ箱に捨ててみて下さい。」
と言う返事だった。試してみると綺麗に直った。起動ディスクをあちこちと替えて動作させたことが原因だったかもしれない。

 書店に行くとマックがシェア100パーセントになる時代が来るという雑誌があった。ジョークだが、マックファンであってもそれは困ると思った。今のウィンドウズを素直に心地よく思えないのはやはり独占に対する恐れなのだろう。だからどんなに今のマックが好きでも全部がマックになったらと思うと少々困る。

 私が時折、マックが良いと書く理由は、ウィンドウズユーザーを見る目が無いとけなしている訳では決してない。勤務先や学校で使う機械がウィンドウズだったり、雑誌を読んで自然にウィンドウズを選んで楽しんでいるのを否定している訳ではない。

 事実私だってマックに接する前には今から思えば何にも使えなかったウィンドウズ3.0で驚き、楽しみながら接していた。そんな時にウィンドウズなんてと言われたら誰だって厭な気持ちになるくらいはよく分かる。

 どうしてマックが良いと書きたくなってしまうかと言えば、やはり、現時点で真実マックの方が使う身とって優れたシステムだと折りに付け感動しているからだ。はるかに良いと感心してしまうので、はるかに良いと自然に言いたくなってしまう。

 ところが、書籍を見たり、人と話しても、
「それはあたかも左利きの人にとっての左利きの道具は使い易いのであって、大半の右利きの人は右利きの道具の方が使い易い。」
と、つまり人によって好き好きあって、どちらが良いとは言えないと、聞こえてしまう。確かに私にとって使い慣れていたMS-DOSやCOBOL言語は今も使いやすい。だから使い慣れた人にとって今使っているシステムは、他のどんなシステムより使い易いことは分かる。

 購入するにはその人自身の目的があるから、どちらが良いかはその人にしか分からない。どちらが良いかを店やテレビ、新聞、雑誌ではっきり表現されないのは利害関係があるからだと思う。店にとってはウィンドウズ商品を置いている以上ウィンドウズは劣るとは決して言わない。雑誌やテレビでウインドウズ機器のCMが出る以上、ウィンドウズがマックに劣るとは決して言えないと思う。

 私はどちらにも直接の利害関係がないから、あいまいな表現を聞いていると、心の底からの思いが、表出してしまう。利害関係がない立場からすれば、
「マックはウィンドウズに比べて誰が使ってもはるかに使い易いし、より高度に完成されているように見える。ウィンドウズは利益が伸張しているので、将来はマック以上に使い易い製品を出す可能性を持っているかもしれない。ソフト開発メーカーもウィンドウズ製品を先に市場に出すことが多いので、将来の見通しは明るいかもしれない。しかし、その明るい将来は他社にとって代わる恐れもある。OSに依存しない可能性もある。もし利害関係が何もないなら、あるいは回りにコンピューターの知識豊かな人が少ないなら、今はマックを選ぶことは作業にとっては楽だ。将来それ以上に優れた機械が出れば、その時にはそれを選ぶのがよい。」
と信じている。ウィンドウズにはシステムの向上をマックには業績の向上を互いに競って欲しい。



1997年6月18日 水 雨      確認

 昼頃祖母から電話があって外出先から家に立ち寄った。航平を見るのは正月以来で最近元気が戻って旅行に出掛けたり普段なかなか立ち寄れない先を訪問して楽しんでいるらしい。

 若年者にとって、老年者の毎日はこれから行く道だから、平和で幸せであると言う話しぶりを聞くのは心地よい。自分も元気がないときには訪問して出掛けるのが億劫になってしまう。

 人が訪れるのは待ち受ける者にとっても何より幸せなことだ。だから逆に自分も訪れたいとは思うものの、臆病になっている。

 一昨日スゥエーデンの同窓からファックスで、訪れるので友人たちの参集をよろしくと書いてある。近くに住む者よりも、遠方に住む方が会いたい気持ちがよく育つらしく、比較的良く会っている。

 友人と会わない間は、会う日までの楽しみを育てている期間だ。会う日まで互いに成長していたいものだが、現実には互いに変わっていないのを確認するばかりだ。



1997年6月19日 木 曇時々雨   張り紙

 台風が来るらしい。風が強くなっている。明日あたり上陸するかもしれない。こんな時に飛ぶ飛行機はどうなのだろうか。台風よりも上を飛ぶのだろうか。地上は雨でも高く舞い上がると、雲一つない空になって、天上に近い別世界に入ったように見えることもある。

 航平は公園に行ったものの泥がべたべたになっていて全然遊ばないで帰って来たらしい。公園の横にあるトイレには相当大きな張り紙でちかんに注意と書いてあって雰囲気が壊れるとチャコちゃんはぼやいている。

 張り紙があった所で不安感をあおるだけだとチャコちゃんは言う。抑止力を目的としているのだろうか。道路で自動車を見るだけで帰ってきたようだ。

 集団で何かをするときに仕事を増やす方向に導く人というのは何処にもいる。確かにやった方が良いことで誰も異論をはさめない。うなずいていくうちに本来の目的から離れてしまう。

 かつて友人が言ったことをよく思い出す。
「残業が増えるのは同僚にめぐまれないからだ。」
と彼は言った。

 上司の不的確な指示なら、自分が定時に帰って仕事が進まなくても、上司は結構別の人に指示したり、見放されたりする位だ。部下から残業を強いられることも少ない。

 ところが同僚というのは
「こっちを巧くやるためにはこっちもやろう。私がここをやるから君はここだ。」
と、仕事を精密にこなすタイプの同僚に当たる場合が最も仕事量が多くなる。

 一人だと手を抜いて仕事は減る方向になりがちだが、集団になると自然に増える方向に行くようだ。



1997年6月20日 金 台風   見舞い

 チャコちゃんの友人、岩見沢に住む純子が入院している。具合が悪いが見舞いに行けなかった。チャコちゃんも私も早く会って激励したかった。ここ最近家族で話すのは純子のことばかりだった。日記は思うようには書けなかった。

 台風や何かで出発が遅れた。明日は出よう。航平にとってはじめての旅行は北海道になる。旅行に出掛けたくてもなかなか出来なかった。一泊旅行を計画していたが、先延ばしになっている。せめて旅のように明るくしていたい。今も元気だし、何とか奇跡があって欲しい。一ヶ月と言う言葉を信じたくはない。



1997年6月25日 水 晴      夏至の日差し

 土曜日昼に発って、月曜日の夜、東京に無事に戻った。航平は旅行中、大人の後によく付いてきた。大事な所では言うことをきちんと聞いてくれたし、困らせることもなかった。夜、食事をするときに暴れ回って何も食べない時が一回あった。間食をしていたのでお腹が一杯なんだなと思って、ホテルに戻ると、お茶をコップに一杯たっぷりと、一気に飲み干した。四時頃からのどが乾いているのを知りながら、うっかりして、ずっと水分を与えなかった。食事中も気持ちがあわてていたのか、航平の水分に不思議なほどに気が付かなかった。のどが渇いていて食事をとることが出来なかったのを食事が済んでからはじめて分かった。困らせたのはそれくらいだった。

 毎日の見舞いはチャコちゃんも私も心ゆくまで話しが出来た。東京に帰る日、エレベーターホールで別れる時のドアの閉まりまぎわ、車椅子に点滴を付けたまま座った純子の姿は生涯忘れないだろう。チャコちゃんは泣かなかった。病院からバギーを押して駅まで三人で歩いた。道路の脇には花が咲いて、夏至の暑い日差しだった。



1997年6月26日 木 晴      誉める

 子供を育てる時に誉めると良いというのは誰もが言うし、私も異存はない。ところが実際に誉めるということがどうすることなのかがなかなか分からない。言われて元気が出て、更にやりたくなるような言葉が誉めることなのだろうか。それともやったことを正しいと認めて賛成してやることなのだろうか。

 大体が誉めて育てるというのは英米での馬や動物の調教の餌のようで、旧来の日本の教育には誉めるより「耐える」「忍ぶ」方が尊ばれたようにも思う。剣道や相撲などの伝統武術でもやりたいことをどんどんと学ぶよりは悪い点がなくなるまでは厳しく指摘されて次のステップには進めない。「学ぶ」が「まねぶ」に近いように教育されてきた。バイオリンなどの器楽演奏で優れた成果をあげるのもじっと耐えての練習があながち悪いものでもないように見える。

 しかられたりけなされたりしても時には愛情を感じてあたかも誉められたような気持ちになることもある。逆に誉められて力を失う時もある。誉め殺しのようなものだ。誉めて育てることが誉めて自分の思いのままに遣ったり、おだてて騙す誉め言葉もある。

 さらに、誉め方には、先日受け取った手紙の中に
「文章の中に時々面白い部分があるけれど、わざと面白く書いているのですか、それとも、素地がそのまま出ているのですか。」
と聞かれたことがあった。私はこの問いに答えなかったけれども、自然に誉められたような気持ちになった。質問の形式になっている誉め方もあるのか、私が勝手に誉められたと感じただけで、真実質問だったのかもしれない。心地良い誉め方があるのは感性や誉め手の生きざま、人生の取り組み方が相手方の人格に対して良く影響した場合を指すのではないかと思う。

 誉めて育てられて良い方向に導かれた人は誉め手の人間性の尊さに導かれたと考えている。



1997年6月27日 金 晴 暑い    株主総会

 暑い日だ。今年最高の気温を記録したと言う。株主総会が上場企業の95パーセントで今日開催されているらしい。総会屋対策だそうだ。外食産業の杵屋の株主総会では株主に参加しやすいように別の日を選んだらしい。総会終了後には食事が振る舞われてパーティでもてなされたらしい。

 会社の所有者というのは株主のはずだが、会社から見ると株主というのは配当金を支払わなければならない煩わしい者という意識なのだろうか。株式と言うとうさんくさいようなイメージで語られることもあるが、私たちのよって立つ資本主義の根幹をなす制度だから大切にすべきだろう。

 財産は現金、債権、不動産に分けることが危険を分散する方策としてよく話される。株式は債権であって、何もうさん臭い対象ではない。政府は株式の所有運用に関してキャピタルゲイン非課税など優遇税制をとっているが、いたずらに金持ちを優遇している措置ではないだろう。キャピタルゲインに課税すれば、市場全体を支える株式時価総額が年々課税分だけ減少してしまうから、市場の発展を健全に維持するために必要だとする根拠だ。

 何も所有しなければ、飛ぶ鳥のように悩みは少ないかもしれない。多少の世の中の悩みを世間と共有するために、尊重できる会社の株式を多少は保有することは今の社会では望ましいようにも感じている。尊重される株主総会にいつかは成長して欲しい。



1997年6月29日 日 晴      ピエロ

 チャコちゃんの友人が籐かごの作品展を手伝って、出品しているので、家族揃って新宿に出掛けた。歌舞伎町に出て、みやげにお菓子を買うのに都立大久保病院の中に入った。この病院は複合テナントビルになっていて幾つか店が入っている。

 一階ホールではピエロの女性が観客を集めて手品をしている。航平は
「あっ、あっ」
と言って、音楽も軽やかでつい立ち止まった。少し見ているとピエロに扮した女性が私の顔を見ている。予習をせずに英語の訳を当たった高校生の頃を思い出した。まずい。

 ちょっとずつ、ちょっとずつピエロは寄ってきて手を大きく広げて
「さあどうぞ」
と呼ばれた。
私は小心者で真面目でそんな人の前で芸なんて出来ない。自慢じゃないがカラオケも出来ない。

 大勢の前に出て、ピエロの彼女と同じことをして下さい。と言っているらしい。長い風船を貰って、横に伸ばす。縦に伸ばす。出来る。もう一度、再び。音楽スタートして横、縦、一回転、横縦一回転、最後が違うらしい。もう一度。最後に足を外側に曲げるようにと言う指示。その後はお尻もふりふりするように。なんで私はこの年で大勢の前でこんなことをするんだろう。

 さらに風船を膨らまして、芸は続いたが、観客は笑って楽しんでいた。終わってからピエロと握手して出たが、しばらく、心臓がどきどきしていた。人がそんな風になると自分も当たってみたいと思う時もあるが、やっぱり、当たって、楽しかった。



1997年6月30日 月 晴      可哀想

 スーパーで私が漬け物セットを買ってきた。一式揃って今日からぬか漬けが出来る。うちにはぬか床がないのできゅうりやなすのぬか漬けは八百屋で買っていた。買ってくるものはしょっぱくて美味しくない。

 おそるおそる出したセットを見て、チャコちゃんは
「よっぽど食べたかったのね。かわいそうに。」
と言った。

 だいぶ前から時々ちょこちょこと
「ぬか漬けって美味しいよね。」とか、
「結構大変なんだ。」
と言っていた。

 チャコちゃんはもともとぬか漬けを余り好きではない。だから自分では作ることには気が付かなかった。

 チャコちゃんは時々私のことや航平のことで「可哀想に」と思う。
「ぬか漬けが欲しくて可哀想だった。」
などと言われるとそれまでは気が付かなかったが、何故か自分でも可哀想な気持ちになってくる。現実にはこれから私が毎日ぬか漬けをかき回す方が本当は可哀想なはずだ。

 チャコちゃんはよくじっと涙を溜めて、こぼれてくることがあるけれど、それはどうやら自分自身に対して可哀想だと感じているらしい。

 航平が寝ている時、目が覚めたときにすぐに気が付けるようにインターフォンを必ずセットしている。泣けばそれ程広い家ではないからすぐ分かるが、やはり可哀想だと思うらしい。

 感じていることを分からないでいるときに可哀想にと考えるようだ。

 ところがその可哀想と言う感覚が、私にはすっかりなくなっていたかもしれないことに最近になって気が付いた。私がぬか漬けを作らなかったのは自分が欲しい度合いが少なかったと考えていたし、もし欲しければ何時でも作れば良い。

 航平が起きたときに誰も居なくて淋しければ、自然に私たちを求めるし、求めを知って私たちは応えるはずだと考えるばかりだった。淋しいのは「仕方がないこと」で、可哀想だと発想するゆとりは無かった。

 そういえばかつて思いやりに欠けると言われたことがあったけれど、可哀想と思う気持ちから「思いやり」は出るのだろうか。


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