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97年3月

山口 正司             


1997年3月 1日 土 曇後晴   呼び名 1997年3月 2日 日 曇り    母を尋ねて三千里 1997年3月 3日 月 晴     食事 1997年3月 4日 火 晴     二人目 1997年3月 5日 水 晴     ホームページの開設通知 1997年3月 6日 木 晴     バギー車から転落 1997年3月 7日 金 晴暖かい  花粉症 1997年3月 8日 土 晴     法事 1997年3月 9日 日 晴     風呂水ポンプ 1997年3月10日 月 晴     階段とトンネル 1997年3月11日 火 晴     技術力 1997年3月12日 水 晴     助けている 1997年3月13日 木 晴     風邪 1997年3月16日 日 雨時々曇り 満一才 1997年3月17日 月 晴     規制 1997年3月18日 火 晴     目薬 1997年3月19日 水 晴時々曇り ダメ 1997年3月20日 木 晴     斜面すべり 1997年3月21日 金 晴     子供の芸 1997年3月23日 日 雨     腕輪 1997年3月24日 月 晴     怒る 1997年3月25日 火 晴     携帯電話 1997年3月26日 水 晴     力 1997年3月27日 木 雨後晴   第一子 1997年3月28日 金 晴     ダンス 1997年3月29日 土 曇り後雨  ベビースィミング 1997年3月30日 日 晴     花見 1997年3月31日 月 晴     CD
1997年3月 1日 土 曇後晴   呼び名

 10日ぶりに家族揃って外出した。航平のおむつやベビー用品の買い出し。紙おむつが無くなると出掛けることになる。買い出しと言うのは楽しいものだ。

 色々な商品も航平がいればこその買い物だ。みっふぃの食事用のエプロンなんて、購入出来ること自体が幸せなことだ。赤ちゃん用品は色や柄がさまざまで工夫がこらされている。

 スプーンやカップも手に会う形になって持ちやすく加工されている。種類の豊富なことは豊かな世代の豊かな国にいる実感を得る。

 航平という名前は最近、行動が活発になるにつれていろいろに変化して呼ばれている。コッペ、こうちゃん、こう君、コーヒー、コッピィ、ヘーコー、とその時の気分で呼ばれる。

 本人はいたずらをしている時には全然聞こえないふりをするが、なんとなく自分が呼ばれているらしいということは分かっているようだ。



1997年3月 2日 日 曇り   母を尋ねて三千里

 チャコちゃんが食事を作っている間台所に航平が行かないようにテーブルとボストンバックで航平の動きを止める。しかしテーブルと椅子のわずかな隙間をぬってこまごまと体をくねらせてチャコちゃんのところにたどり着こうとする。

 やっとたどり着くとやはり危険だから元の場所に戻されるけれど、チャコちゃんも追いかけられるのはまんざらでもないようだ。はた目に見ると母を尋ねて三千里と言った風景だ。

 私が子供だった頃、夢の中で母を追うのだが帰ってこない夢を覚えている。恐らく誰もが見るのではないだろうか。子供の立場では母が戻ってこなくても止めることは出来ない。それで途方に暮れるが不安ではっとして目が覚めると横に母は寝ている。いつも母はいてくれたから安心感でいたずらばかりしていた。

 航平は階段からチャコちゃんが下に行くと階段の柵をゆらゆらと押して柵を壊しそうだ。壊して階段から落ちても困る。試しに柵をはずしてみると、一人で階段を後ろ向きになって下まで降りた。一番下まで行くと上で見ているチャコちゃんに向かって上まで登った。誰も教えないが下に私が付き添いながら六七回、階段を降りたり登ったりした。



1997年3月 3日 月 晴   食事

 ひな祭りの日でお赤飯での夕食だった。男の子だがチャコちゃん自身は女三人姉妹で育ったせいか、ひな祭りは大切にしたいらしい。赤飯は航平も好きでほとんど平らげた。

 航平の食事は全体に柔らかいものを選んでいるが、固い物も良く食べる。するめは好きだ。全体に良く食べるので食事で親を困らせることは少ない。

 人の話しを聞くと食べないで困ると言う人がいるが実際にはどの子も良く食べるように見える。親の感じとり方の違いだろうか。航平は満腹になって食べなくなるとすぐに食事はおしまいにされる。無理じいしないのが秘訣だろうか。そのかわり、せいをだして作られた食事が捨てられることもしばしばある。もったいないと思うが 食べないものは仕方がない。

 食事はミニサイズのフルコースになっている。スープ(味噌汁)に始まり、主菜と野菜などの副菜、ごはんで最後はデザートとお茶だ。それぞれは少しずつで、途中の食材を残しても最後のデザート(最近はいちごミルクなど)だけは良く食べる。食後のお茶は歯磨きの意味も少しある。食事を全員がゆっくり食べられるようになるの今の家族の夢だ。



1997年3月 4日 火 晴   二人目

 よく二人目はまだですか、と聞く場合がある。昔は赤ん坊をあやすと決まり文句のようになっていたように思う。最近は不妊の場合や、家庭のそれぞれの事情からその質問でどれ程傷ついているかが、新聞などで報道されることも多い。そのせいか、私自身が航平の誕生後尋ねられたのはまだ一回しかない。

 尋ねられた時の感想は、特段何とも感じないといったところだ。大体子供が誕生したあとは躁状態になっているから、家族のことは何でも話したいしどんなことも尋ねられたい。尋ねる人が悪意でなければ、聞かれて嫌なことは何にもない。

 ただ、話そうとすると、あるいは、ここに書こうとするとやはりこればかりは家族の中で大切にしておきたいようなことだ。ついつい本当のことを話すのをためらってしまう。

 家族では、航平の誕生の時でもそうだったが、よく二人目のことを話したり生活の設計のようにその話題で楽しみもする。やはり航平も含めてチャコちゃんとの一番の楽しみとして、家族の中で大切 にしている事柄かもしれない。

 川島さん、二人目のご懐妊おめでとう。



1997年3月 5日 水 晴   ホームページの開設通知

 戴くメールで嬉しいのはメールだけでやり取りをしてきた方からホームページが出来た旨の連絡だ。何回かのメールのやり取りの何倍かの情報が一気にホームページから伝わってくる。

 さっそくページを見ると今までのメールから推測していたことが楽しく思い出されてくる。

 受け取った瞬間に自分がホームページをはじめて出した時のことも思い出す。ホームページをはじめて開設した時程感動したことはない。そして持ってから今までの、ホームページがあればこその楽しさもきっと待ち受けているのだろうなと推測してしまう。

 ホームページは便利な道具だ。それは何より簡易に自分を伝え、相手を知ることが出来るからだ。

 山口佳彦さん、ホームページ開設おめでとう。

 ところで、ヤフーで株式市況案内サービスが昨日から始まった。とても便利なページで何故今まで出来なかったのか不思議な位だ。しかし、残念なことに前日の市況だけの案内だ。これなら新聞で見るのと同じことだ。

 誰もがリアルタイムの市況速報を望んでいる。株価に対して東京証券取引所が著作物としての権利を主張して、外部への発信を規制しているのが理由らしい。

 現実はリアルタイムの株式市況の発信を業として、超優良企業に成長した、日経クイックへの利権の保護が理由だろうと想像する。

 利権の保護規制を恐れて、発信する人が誰も出ないのが現状だろうか。市況に著作権があるとは信じられない。



1997年3月 6日 木 晴   バギー車から転落

 夕方家族で買い物に出掛けた。A型バギーに航平を載せて出た。スーパーマーケットの中でバギー車から身を乗り出して頭から転落してしまった。頭が床にあたって、音がゴチンとした後、仰向けにひっくり返って店中にとどろき渡る声で泣きだした。

 一瞬店全体の音が無くなってほとんどの買い物客からの視線を感じた。静かな中に航平の泣く声ばかりが響いた。バギーを押していた親の私が悪いに決まっている。

 幸い何事もなく、ひとしきり泣いた後、静かになって、泣きつかれたのか、そのまま寝てしまった。帰ってから夕食もとらず、風呂も入らずすやすやと今も眠っている。バギー車のベルトをもっと短 くきっちりと閉めよう。



1997年3月 7日 金 晴暖かい   花粉症

 風が強く23度と暖かい。杉花粉が飛んで来ているようでチャコちゃんは外出を控えた。私も例年ならひどい花粉症に悩まされるが今の所それ程ひどくない。昨日鼻づまり防止テープを購入して使ってみた。鼻にテープを張って鼻孔を広げて、安眠したりスポーツに効果があるらしい。

 以前からそんなテープがあればなあと自分自身思っていたら、スキーの競技で荻原選手が使っていた。

 寝る時に使用したが多少楽なような気がする。ただし、テープは一回限りの使い捨てで、枚数は少ない。かっこが悪い。

 花粉症での私の治療法。
1.漢方薬医の漢方処方。私の場合は小青竜湯。健康保険法が改正されて治療が受けやすくなった。
2.吸入器を使って42度の蒸気を鼻孔へ噴霧する。副作用もなく、実証済みで効果は高い。
3.風呂と洗顔。
4.マスク。

 西洋薬による抗アレルギー治療は副作用が多くて、効果が少なかった。漢方薬医の治療は快適だ。しかし、ひどい時には何をしても効き目はない。

 暖かい晴れた日に窓を締め切って家の中に閉じこもっていると何でこんな時代になってしまったのだろうと思う。都会的でかっこいいなんて言われると、この病気の苦しさを今少し知って欲しい気持ちになる。

 花粉症になって辛いのは自分の頭が回転しなくなることだ。入試や資格試験でも年一回限りではなく、年間数回行われることが公平だと思う。



1997年3月 8日 土 晴   法事

 今日は祖父の17回忌の法事だった。早稲田にある寺まで行くのだが前回と全く同じように少し遅刻してしまった。早稲田までというのは近いような気がするが、乗り継ぎの時間や歩く時間を含めると思ったより時間がかかって、以前にも失敗した。

 その地下鉄のちょっとしたすれ違いの様子が前に見た風景と同じで、地下鉄がいつも規則正しく走行しているかと無情に思う。

 祖父は生前ほとんど言葉を発しない人だった。明治の人で真面目でよく働いた。元気な頃は自分が子供だったからか、何を思い何を信じているのかが良く分からなかった。

 亡くなって祖父がしてきた一つ一つの事柄を思いだして、つなぎ合わせて見ると生きているときには気が付かなかった人となりが透けて見えてくる。

 言葉はなかったが決断力と実行力に優れて、間違いが少なく、思いやりと優しさ、誠実と正直が見えてくる。何で生きているときにはそれがはっきりと見えなかったのかといまだに不思議でならない。ともすれば今も誰かの誠実を見落としてはいないだろうかと思って しまう。



1997年3月 9日 日 晴   風呂水ポンプ

 晴れた穏やかな暖かさの日曜日だ。チャコちゃんは日曜日の今日も大量の洗濯をした。購入した風呂水給水ポンプは思った以上に面倒だ。風呂にポンプをその度取り付けて、給水が終了するまでつきっきりになる。洗濯が終了するとすすぎのために再び給水ポンプを稼働させる。満水になるまでつきっきりになる。

 最後の給水は水で行って、終わったあとポンプの水を切ってバケツに納め、時々フィルターの掃除もする。勤勉な人でなければとても出来ない。私が買った手前、今のところ意地のようになって使っている。ところがやるのは大抵チャコちゃんだ。

 洗濯機には水道の給水しかないから、たとえポンプを使わなかったとしても、水でしか洗濯は出来ない。水だけなんて、貧しい気持ちになる上にさらにもっと節水、もっと節水と新聞やテレビで押しつけられる。もちろん環境も考えたいし、無理に給湯して洗濯したいと思っている訳ではない。

 自分もよくやってるなあと誉めてあげたい。ただ、風呂水給水ポンプは失敗したかもしれない。

 夕方二子玉川で「ゆっぴーとばんそうこう」の四人家族とすれ違った。感動した番組だったのでチャコちゃん共々心がときめいた。チャコちゃんは言うのだが障碍の中に生への実感と共感を覚えてしまう。万人が幸せになれる社会はきっと自分も幸せになれるはずだ。



1997年3月10日 月 晴   階段とトンネル

 航平の今一番好きなことは階段の登り降りだ。ちょっと目を離すと階段を登ったり降りたりする。スピードは驚く程早くて気が付かないこともある。しかし、一人だと途中で戻ってくる。こちらを振り返り、ついてくるのを確認しながら登っていく。
「さあ、行くぞ、付いてこい。」
という風情だ。

 外から帰って、買い物袋を持って階上に行く時、航平を先にして後ろから追いかける。すたすたと登っていく。やっと上に着くとまた、下に降りてくる。両手がふさがっていて、私もあわせて下におりる。階段遊びは大人に辛い。

 チャコちゃんはぶた公園で航平とトンネルで遊んだらしい。トンネルの中に入ると向こうに行って、出ないでまた帰ってきてしまう。行ったり来たりするばかりで出てこない。トンネルの中を中腰で付き合って膝の関節ががくがくしたらしい。大人にもパワーを分けてください。



1997年3月11日 火 晴   技術力

 NHKクローズアップ現代で海外生産を日本にシフトしていると報じていた。今までの日本の技術力は生産現場からフィードバックされてきた。フィードバックによる技術力の向上が日本シフトの理由 らしい。

 高い技術力は高い付加価値を生むから値段が高くとも販売が出来る。かつて円が高くとも貿易黒字が一向に減少しなかったのは生産物に高い技術力があったからだ。ビデオもファックスも当時はほんど日本製品しかなかった。円が幾ら高くなろうとも日本製品を選択せざるを得ない。選択せざるを得ない商品が円で評価されるから貿易の黒字はさらに増大した。

 世界の中で自社でしか生産しない製品が市場に必要な商品なら労働は報われる。





1997年3月12日 水 晴   助けている

 階段登りをする航平を下から付いていくとちょっとしたはずみに仰向けに転がりかけた。後ろから私が付いているのでキャッチして逆さに一回転させると本人は喜んでいる。私が居なければ階段の下まで転落している。

 ドアの開け閉めが楽しいようだがちょうつがいの部分が気になるらしい。ちょうつがいの隙間に手を挟んだら相当痛いだろう。あわててドアから引き離してドアを閉じる。

 テーブルの下に入ると立ち上がるときに頭を打つので頭の上に手でカバーしてやる。風呂に入るとつかまり立ちして滑って水の中に入りかける。誰も支えなければ溺れるだろう。

 一日に何回助けているか分からないが本人は助けられているなんて全然知らない。

 伊藤さん、駿介君の誕生おめでとう。





1997年3月13日 木 晴   風邪

 三日程前から風邪をひいている。航平とチャコちゃんが風邪にかかって自分だけかからないなあと思っていた。二人がすっかり治った頃咳とくしゃみと頭の痛みがおそって来た。風邪をひくと呼吸が苦しくなる。風邪くらいとは思うが病気になると漠然とした不安感が出る。

 子供の頃から煩っていた喘息の症状が最近違う。全体にはかなり症状は改善して良くなっているが、いざ発作が起きると全く息が出来なくなってしまいそうになる。酸素ボンベを置いた方がいいのかなあとも思う。まだ、死にたくないなあと思う。今日はだいぶ良くなってきた。明日には治るだろう。



1997年3月16日 日 雨時々曇り   満一才

 おととい、きのうと風邪で休んで今日はだいぶ体調が良くなった。もう大体いつものとおりに回復した。お気遣いいただいてありがとうございました。

 航平の満一才の誕生日だ。航平の寝ている顔を見ると大きく頑丈になって、生まれた頃の弱々しい顔とは大きく違う。この一年は航平に教わった年だった。

 バースディケーキを近所で頼んできた。本人は自分の誕生日なんて知る様子もない。昨日と同じ今日があるだけだ。無事に育った一年に感謝する日だ。





1997年3月17日 月 晴   規制

 私の父は保険会社に勤めていて、私は子供の頃父の転勤で学校を時々かわった。保険会社というのは政府による規制があって、保険料などが各社とも同額でどの会社の商品を選んでもそれほどの差はなかった。銀行の護送船団方式もそうだが、政府の保護の下にあってつぶれる心配はなかったかもしれない。

 父は会社ではよく働いていたようで平日に父と共に食事をすることはあまり無かった。日曜日も仕事上のつきあいとかで不在のこともあった。会社には忠義を尽くしていたが家族に多くの時間をさことはなかった。

 仕事は厳しいようだった。ノルマと競争と表彰が毎月あって締め切り近くになると家庭の話しはあまり出来なかった。父は比較的若い頃に病気で亡くなったが厳しい仕事での毎日が短命に多少は影響したかもしれない。

 保険業界というのは規制による保護があったのに何故それほどに内部での仕事では競争が厳しかったのだろう。規制の下での競争は商品にそれほどの相違がないから営業上の獲得率の相違が会社の利益額の相違にそのまま反映されてしまう。

 もしも規制がなく自由な競争が展開されていたら、どこかの会社では営業社員をおかずに保険料が安い商品を出すだろう。もしも規制がなければ、商品が色とりどりになるから顧客は商品をみずから指定して契約を決めるだろう。結果営業職は無理な売り込みをするよりは正しい商品の案内と客と会社との意見の取り次ぎを効率的に 行うことが出来る。

 規制があることで働いている者が保護されるわけではない。新聞、書籍、銀行、保険、などいわゆる規制保護対象業種は顧客への便益とは直接関わりがない仕事を生んでしまう。



1997年3月18日 火 晴   目薬

 夕方家族で買い物に出掛けた。五時にはまだ陽の光が残っていて随分陽が長くなった。そうか、あさっては春分の日だった。暑さ、寒さも彼岸までと言うけれど、夜になると風が冷たくふいていた。

 薬局で点眼薬を購入してみた。目の焦点がなんとなく合わないし疲れているようだ。コンピューター用と言うと幾つかあって、どれも同じようだったが、ロートプロという名前のパソコンワープロ用点眼薬を購入した。

 その場で注してみると痛いくらいの刺激がある。ビタミンBが入っているとかで黄色い。直後店内が明るくなってくっきり見えるような気がした。スキー場でゴーグルをしたような感じだった。

 試しにチャコちゃんにも勧めてみた。チャコちゃんは妊娠中の頃からの習慣で無用な薬は今でもいやだと言うところを無理に注して貰った。「痛い」と言いながら「くっきり見える」と言っている。

 あまり刺激が強くて良いのか悪いのかは分からないけれどしばらく使ってみよう。常温で6カ月保管できるそうだ。
 チャコちゃんは
「この間買った花粉症用の鼻のテープ、ほおっとかないで使ってね。」
と言った。



1997年3月19日 水 晴時々曇り   ダメ

 航平は最近動きが激しくてちっともじっとしていない。階段の登り降り遊びは体全体をつかってしばらく続けている。テレビのスイッチを点けたり切ったりするのも好きで10秒に10回くらいスイッチを押し続ける。ほおっておくと恐らく 5分くらい点けたり消したりしているかもしれない。

 航平の面倒を見るというのは動きを止めさせることが本旨になってしまう。つまりダメ、ダメと言ってばかりになってしまう。航平にとって私が面倒を見始めるというのはじゃまものがうるさくつきまとう状況になる。私がおもちゃを持って近づいても無視してテレビの点灯も続けるし、台所に行ってはフライパンに手を伸ばす。

 最近の私は航平にとって厭な奴になっている。手伝ってくれたり遊んでくれる頼もしい人ではない。ダメダメだけのうるさいやつだ。



1997年3月20日 木 晴   斜面すべり

 午後から家族でぶた公園に行ってみた。公園でどんな風に遊んでいるのか見てみたかった。山の前で航平の手を離すと一人で階段を登っていった。

 体全体をよじるようにしてテンポは早い。子供たちが横をすり抜けたりして手を踏みつけそうになるが他の子供も気を付けている。一人の子がひっかかって航平が転落しそうになった以外はさして危ないことはなかった。

 階段を一緒に上がると斜面を一人ですっと滑り降りた。比較的急な斜面で頭から滑ったときだけ一番下で受けとめた。足から降りたり、頭から降りたり、うつ伏せで降りたり仰向けで降りたりしている。

 随分慣れているなと思って、チャコちゃんに聞いたら今日がはじめてだそうだ。チャコちゃんは上まで行くとチャコちゃん自身が抱えて滑り台から降りてくる遊びをしていたらしい。私は航平が危険な所以外は航平にまかしていたのでたまたま新しい遊びにチャレンジしたらしい。

 恐い物しらずなのかあるいは危険を認知する能力が乏しいのか何れかだ。途中で足が引っかかってもがいていたときに私は危険でないので助けなかった。チャコちゃんはすぐに来て引っかかっていた足をなおした。母親は優しい。



1997年3月21日 金 晴   子供の芸

 航平にとっていとこになる小学三年生の智君が誕生日のお祝いにお母さんと来た。航平は初めはこの人誰だろうという風だったがすぐに慣れて一応の芸を披露した。

 航平が今出来るのは一才という風に指を一本だけ突き出すやつだ。昨日はレストランで後ろ隣の人に背中越しにやって誉められていた。しかし本人は指と一才との相関関係については全く関知していない。ただそうすると大人が喜ぶので始終一才のポーズを取っている。

 いないいないばあも大好きな遊びだ。米国人と共に遊ぶ時にはぴっかぁぶぅとチャコちゃんは言っている。いないいないばあは航平が一番好きなあやされ方で何回やっても全然飽きないが大人が一所懸命やらないとだめだ。

 子供の芸はサーカスの動物の芸のような気もするが大人とのコミュニケーションには役立っている。



1997年3月23日 日 雨   腕輪

 雨の日曜日で、ぐずぐずしていると、航平は昼頃から寝てしまった。目覚めるともう夕方で日曜日に外に出るきっかけを失った。何もしないで過ごす休日は忙しい日よりもつまらない。

 航平は最近パパ、パパと言い続けている。はじめて話す言葉がママではなくてパパかと思ったが、パッパ、パッパ、パァレードと言う歌詞かも知れない。パパと私とはつながってはいない。

 チャコちゃんが今こだわっているのはゴムで出来た腕輪だ。先週東急ハンズで赤い色のゴムひもを買ってきた。10センチ位に切って丸めて、カーテンの裾に付いている「ちょんちょこりん」を付けて航平の腕輪にしている。余分に作った腕輪は時々仲のいい友達にあげて楽しんでいる。






   腕輪の写真



1997年3月24日 月 晴   怒る

 駒沢公園の桜はもう咲きはじめたそうだ。毎週火曜日にはチャコちゃんは航平を児童館に連れていくが、もう春休みになって午前中も大きい子供が多いので、明日は花見に変更するらしい。児童館では子供が部屋の中でボールを蹴飛ばしたりするので落ちつけない。

 航平は最近、よく怒るようになった。リモコンをなめては取り上げられ、グラスを持ち上げては取られ、ドアを開ければ閉められ、台所に入れば引き出される。

 機嫌の良い時にはそれでも次の標的を見つけてはいはいしていくが、半分お腹が減っていたり、眠かったりするとウォオオオーと言って怒り出す。

 私やチャコちゃんが機嫌のいいときにはそれでもおお、可哀想、可哀想と言われておもちゃを出したりするが、大人も疲れているときには 「おまえー、誰のお陰で大きくなったんやあ。」 と逆に言われている。誰のお陰で大きくなったあという言葉は一生言わないだろうと思っていた。私自身が言われて厭だったからだ。

 しかし、一日私たちが居なければやってはいけない成長段階なのに、怒るというのも勇気があるものだなあと思ってしまう。大人になるとなかなか怒れない。怒りはやって欲しいこととやって欲しくないことを短く強く伝える手段だ。



1997年3月25日 火 晴   携帯電話

 駒沢大学の卒業式で前の道は羽織、袴とスーツ姿の学生が通っていく。お坊さんも大勢で通っていた。駒沢大学は仏教系の大学なので頭を丸めた人がよく通る。若い法衣姿の男性とジーンズ姿の女性が手をつないで歩いていた風景はほほえましい。

 午後新宿に出掛けた。新宿に行くのは昨年高島屋が出来たとき以来だ。ビックカメラがオープンしている。サクラヤでは携帯電話一台買うともう一台無料のセールをしていた。トランシーバーとして使うそうだ。そのはじめの一台も一円とか、その上購入者には3000円プレゼントと書いてある。

 携帯電話が羨ましいと思うのはソフトを購入する時に箱を手に取りながら電話をしている風景だ。ウィンドウズのグラフィック用ソフト、GCREW3があった。店員に GIFとJPEG形式に対応しているか聞いて見ると大丈夫だと言われた。

 不安だったので電話しようと思うと店内にはない。外にも公衆電話は無くてついに駅まで無かった。

 値段が1980円と安かったので結局問い合わせずに購入した。やはり GIFには対応していなかった。このグラフィックソフトは中身が盛りだくさんで、目的は達しないものの画像データベースやフォントも楽しそうなのが8種類ある。

 スキャナーで画像を撮ってはみたが綺麗にはとれなかった。画像のクリップボードへのコピーも品質が落ちた。まだはっきり分からないが本体部分は使えないかもしれない。





1997年3月26日 水 晴   力

 チャコちゃんと航平は春休みで実家に里帰りをした。お義父さんも前から楽しみに待っていたようだ。先ほど電話があって航平が興奮していて、はしゃいでまだ寝ないと言っていた。

 昨日購入したグラフィック用ソフトは顛末の連絡のために電話すると返金するという返事だった。価格が安いことと、持っていくだけでも手間なので使用することにした。

 色々試してみたが私にはどうやってもマックで作成するような綺麗な仕上がりには出来なかった。

 テレビの報道だが、テレビゲームソフトのOSをマイクロソフトがソフトメーカーに無償配布しているらしい。任天堂、セガ、ソニーの争いを一気に手中にしようという戦略だそうだ。

 チャコちゃんに「それってずるくないか。」と聞いてみると
「それがやれるのも力だよ。」と言っていた。



1997年3月27日 木 雨後晴   第一子

 チャコちゃんと航平は実家から戻り私は自由が丘まで迎えに出た。航平はにこにこと上機嫌で顔を見るなりすぐに寝入ってしまった。

 しばらくこんこんと寝ている姿を見ると沢山の刺激の中で遊んで来た様子が分かる。家に居る時には一人で自由に遊んでいる。大勢の中で一晩中過ごした経験は少ない。

 第一子は幼少の時に子供同士で遊ぶ機会が少ない。いつも回りは大人ばかりだ。私も第一子で子供同士の遊び以上に年長の大人と話 しをする方が楽しかった。

 航平に欲するのは豊かな経験と感情のやりとりから健やかな成長を重ねて貰うことだ。



1997年3月28日 金 晴   ダンス

 テレビ映画の「Shall we dance ?」を見た。インドのドキュメンタリーを見た後で途中からだったが、チャコちゃんと一緒に結構楽しんだ。大学生の頃過労で倒れてからリハビリをかねてダンスをした。予想以上に厳しくて奥行きのあるスポーツだ。永い間続いてその後も7年間練習した。

 映画の中で「最初の一歩を大きく踏み出しなさい。」と言うのは本当のことだ。ワルツのベイシックステップの最初の踏み出しは想像よりはるかに長い。映画を見ながら自分でやってみたらおよそ 1メートル60センチほど踏み出した。

 映画では面白く描くために男性が右足から出ていたが、現実は左足から踏み出す。次のボックスで右足から踏み出す。男性の右腰骨と女性の右腰骨がいつでも離れないのはそのとおりだ。

 映画で描かれている通りダンスが偏見をもたれているのは事実として感じることはある。ただやってみれば恐らくどんな人でも、とりこになるのは間違いないだろう。





1997年3月29日 土 曇り後雨   ベビースィミング

 チャコちゃんと航平はベビースィミングのレッスンに行くことを決めて午前中近所のスポーツセンターにリタさんと一緒に申し込みに行った。

 ベビースィミングに行くのはチャコちゃん自身がひざ関節の具合のために行きたいことと、公園友達の大勢が行って楽しそうで育児の気分転換になりそうなのが目的らしい。

 申し込みに必要な書類を見ると印鑑と銀行預金通帳と書いてある。自動口座振替が条件だが、印鑑は必要でも口座番号を控えて行けばいいと私は言った。チャコちゃんは書いてあるのだから持って行きたいと言うが押し切られて持たずに出た。

 待ち合わせたリタさんは銀行が届け出サインになっているので夫が会社から戻ってサインをするために家族全員で一緒に来た。リタさんだけで通帳を持ってくるのは不安で、夫は通帳と印鑑が必要ということは理解できないと言っていたらしい。

 夕方ぶた公園に行くとモリエールが家族と一緒に居た。話してみると先日フランスに帰ったフランソワとはフランスで偶然同じ職場だったという。

 来週チャコちゃんも一緒に花見に行くことが決まっている。モリエールは花見は宗教的な集いかと聞いた。宗教的な勧誘が後からつきまとうかどうか不安だったようだ。モリエールはリタさんからもベビースィミングには誘われて行きたいらしい。しかし週一回で月謝の7500円が高いかどうかが分からない。

 正確には私個人としては安い金額ではないが東京では一般的で標準的な値段の設定になっていると話すと事情が飲み込めたらしい。

 通帳のことも花見もスクールの料金ももし逆の立場で自分が異国に居れば当然に不安なことばかりだ。海外移住はストレスが多いが、皆その中でよく対応していると感心する。逆にストレスになりそうな出来事が楽しいことでもあるだろう。



1997年3月30日 日 晴   花見

 雨の天気予報から一転してよく晴れた花見日和になった。チャコちゃんに何処に花見に行こうか。と、話し合ったがなかなかここにという所が思いつかない。上野公園の花見も行ってみたいと言いながら家を出た。

 駒沢通りを恵比寿、麻布と出て、六本木から溜池、内幸町に行く。日比谷から丸の内、淡路町を抜けてニコライ堂の横を通り、正面に湯島天神を見つけるとそこは池之端で、不忍池が広がっている。

 上野公園は恐ろしい程の人手で、ほとんどの人はカメラを持っている。デジタルカメラも何人か見かけた。絵を描く人や骨董市を見る人も多い。

 どこかでお弁当を食べたいがなかなか場所がない。先住者が多い。トイレの中にも、木漏れ日の中も、所々に既に住んでいる人が多くて場所がない。ここは良いと思うと誰かが居住している場所になっている。先に住んでいる人には迷惑をかけられない。

 不忍池を望むベンチがたまたま開いて腰をかけた。航平はもうお腹がぺこぺこで途中のたこ焼きやとうもろこしの匂いで半分泣き始めている。

 不忍池の向こうには精養軒と寛永寺が見える。ボートをこぐ人は桜の花の下をはしゃいでいる。桜は今見ないともう見られないかもしれない。

 航平はのり巻きを一人でむしゃ、むしゃ食べて、リンゴをがりがりかじっている。そういえば、昨年は出産で桜を見るゆとりもなかったことを思い出した。花見が大過なく出来た。





1997年3月31日 月 晴   CD

 航平は花見で疲れたのか38度の熱が出て医院に行った。風邪らしい。医師からは
「まだ一才だからあんまり無理はしないように。」
と言われた。

 振り返ってみるとバギー車では人混みが激しすぎた。

 シカゴあたふた日記の山本さんからCDが届いた。中を見ると共 同プロデューサーとしてなじみの面々の名前がならんでいる。

 さっそく聞いてみると、ジャズとはいうものの、私にとっては能か狂言の世界の音のように聞こえる。幽玄の世界がイメージされる。

 CDのメロディの一部はこんな風だが(7秒、60k)、全体もこの雰囲気で続いている。それにしても実現までは色々あっただろう。完成おめでとう。

CDのジャケット写真


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